民医連総会の決定集を送っていただいた。
「健康権」をめぐって議論が闘わされたという。「まだそんなことやってるんだ…」というのが率直な感想である。
そんなものはありはしない。健康というのはそもそも主観、実体的には健康を保つ上での行政の役目、保健および公衆衛生と関連して語るべきである。
「患者の権利」はそういうものではない。不健康だから患者なのだ。しかも人間、いつかは必ず不健康になって死ぬものなのだ。自然の摂理からすれば、「健康権」など天に向かって唾するようなものだ。

患者の権利は、人間にとってもっともだいじな権利、「生きる権利」と関連して語られるべきである。
患者の権利とは、「病者が、病者であるにもかからず、病者であるままに」普遍的に生きる権利である。「障害者が障害者として生きる権利」や「児童が児童として生き、成長する権利」などと並べ、語られるべきである。それはかつて久保全雄さんが提起したように「生きる条件」の保障を求めている。
「生きる権利」は即自的に生きながらえる権利でもあるが、生活(生のいとなみ)する権利でもあり、一個性として実存(尊厳の実現)する権利でもある。そのなかでも中核となるのが「病者の生活権」である。私はそれを療養権と名づけている。
「生きる権利」は、医療生協の一部諸君の言うような「対等の契約による権利」ではなく、弱者の権利である。それと同時に弱者の問いかけでもある。
弱者はこう問いかける。「それは、ほんとうのところ、あなた方の権利じゃぁありませんか?」

その問いかけに周りがどう受け止めるかによって、その権利は生かされも殺されもする。

「だったら、生かそうじゃないか」というのが我々のスタンスである。