EUの一連の事態を追っていくと、巨大化した金融市場に国家が振り回されている姿が浮かび上がってくる。
現代国家の主要な機能(少なくともそのひとつ)は、市場経済の安定化にある。それは実体経済の安定であり、金融状況の安定であり、通貨制度の安定である。
そのなかでもとりわけ重要なのが実体経済の安定であり、金融も通貨も実体経済を安定させるための枠組みと考えられる。
ところが、それが実体経済を破壊するような役割を果たすようになっているのが昨今の状況だ。
金融は生産の発展にとって不可欠である。それは信用を発行し、生産を安定させる。しかし究極的には実体経済市場に規定される。最終的に売れなければ、それだけ損失も巨額なものとなる。
諸刃の刃でもあるのだ。
そのリスクを回避するために各種の保険が創設される。これにより生産はいよいよ発展する。それ以上に金融は発展する。しかしこれも最終的には実体経済の市場に規定される。

生産は等比級数的に上昇するが、需要の増加はそれに及ばない。したがって慢性的な生産過剰状態が続く。農家で言えば「豊作貧乏」状況である。

(少し横道にそれるが、慢性的な生産過剰は、慢性的な失業者と低賃金労働者を生み出している。マルクスの言うように一方における富の蓄積は他方において貧困の蓄積を生み出している。それはまた、有効需要の減少を促し、需給バランスの不均衡を助長する結果となる。)

金融市場はさらに深刻である。資金はあってもそれを必要とする生産者はいない。それは投機に回るほかない。回収できなければ、あっという間に丸損である。

そのリスクはもはや回避できない。だから国家が被るしかない。国家は商業銀行のみならず、証券会社から保険会社に至るまで一切の面倒を見なければならなくなる。

しかし困ったのは、国家にはリスクテークする責任はあっても、リスク評価する権限はない。自由主義経済というのは、国家というものは夜警国家であれば良いと考えているから、営業の内容に容啄されることを嫌う。とくに海外資本は政府の干渉にきわめて敏感である。

しかしリーマンショック一つ見てもそういう時代がすでに終わっていることははっきりしている。金融のこわいのは連鎖反応を起こすということである。しかも猛スピードだ。金融市場が崩壊すれば、我々は石器時代に後戻りすることになる。


こうしてみてみると、事態の解決には二つの方向があることが分かる。

ひとつは需要の喚起により実体経済市場のアンバランスを改善することだ。

(ただし、かつてのような大量生産/大量消費型の「生活スタイルの復活は望ましいとはいえない。ワークシェアーしながら生産効率の上昇に伴って労働時間を短縮し、余暇を増やすことが需要の開拓に結びついていく。社会保障の充実も需要喚起にはきわめて有効だと思うが、年金制度については、その透明性に関して疑問がある)

もうひとつは金融活動への規制を是とする国際秩序を生み出すことだ。一国ではどうしようもない。BIS規制、ボルカールールなどが提唱されているが、いずれも国家との関係という本質的な問題を先送りしている。

国家には金融のあり方を、全般的にも個別的にも、選択・採用する権利があるということだ。