フランスでの左派系候補の勝利で、株価が乱高下しているようだ。しかしこれはまもなく収まるだろう。
金融側の発信する情報だけが溢れていて、実体経済の現状と方向が知らされていないから、株屋は自らの撒いた種に踊らされるという寸法になる。
基本的には、ユーロ導入後に高成長を続けた欧州経済が踊り場に入り、調整を必要とする時期になったというのが実情だろう。
マーストリヒト体制はそもそもこういう矛盾を内包していた。器がそもそも狭すぎたのだ。
この間の動きのなかではっきりしたのは、もはやユーロ圏は運命共同体になったということだ。ギリシャを切るという選択肢はあった。しかしその札は切られなかった。切ることが出来なかった。切れば自分の首も飛ぶことが明らかになったからだ。
他面からいえば、切らずともしのげるだけの余裕がまだあるということだ。切羽詰れば道は二つに一つ、ギリシャもイタリアもスペインも切るという道を辿るか、欧州債の発行で、ドイツとフランスが一蓮托生の連帯保証人になるかしかない。
結局、今のところはそのどちらもやらずにすんでいる。それだけの伸び白が残されていたということになる。結局一番利いたのは6割以上の債務モラトリアムだろう。
最初提案されたのは6,7割の棒引きだったが、ドイツはこれを5割未満にまで値切った。しかし危機が進行し、それとともに政治的不安定さが増すにつれ、折れざるを得なくなった。ギリシャに厳しいコンディショナリティーを押し付けつつも、それを条件に民間債務もふくめ6割棒引きまで譲歩したのは、やはり余裕としか言いようがない。(すみません、数字は曖昧です。後で補正します)

しかし構造的危機は先送りされただけで解決したわけではない。マーストリヒト体制はドイツにだけうまい汁を吸わせる仕掛けになっている。貸すときには国境なし、儲けるときも国境なし、返すときだけ国境ありというのは、弁つきピストンと同じ原理である。一見金も商品も往復運動しているように見えるが、実際の流れは一方向でしかない。

その結果資金はひたすらドイツへドイツへと流れていく。佐渡おけさの世界である。欧州規模の資本の集積と集中が起きている。ドイツの大企業が欧州経済を支配するというシステムが出来上がりつつある。そしてこの資本の集積が巨大な生産力を生み出しているのである。

これをとりあえず改善するには、貸すとき・儲ける時の国家間の敷居を高くし、返済困難のときの壁を低くする以外にない。もちろん長期的にはドイツ大企業グループ対すべてのユーロ圏勤労者というシェーマを鮮明に打ち出していくしかない。