1964年

3.31 軍事クーデター。アメリカの手引きによりグラール政権を打倒。ジョンソン大統領はただちに新政府成立を祝うメッセージを送る.

1965年

10.27 軍政令第2号公布.政党すべてを2年間の活動禁止.最高裁判事を政府任命制とし,大統領および州知事の直接選挙制度を廃止.元大統領クビチェックを国外追放とする.

1966年

9.23 授業料値上げ反対に18万の学生の半数が参加,2千人が逮捕,1千人が負傷.リオ大学医学部で軍警察が乱入し学生を殺害(赤い海岸の虐殺).

1968年

2月 都市ゲリラの民族解放行動(ALN)と革命的人民前衛(VPR)があいついで結成される。

3月 リオで学園民主化を求めるデモに軍警察が攻撃。高校生のエドゥソン・ルイスが殺される。葬儀には5万人が参加,学生の反政府運動が激化する.

6.21 リオで学生の抗議デモを軍警察が襲撃.8時間にわたる衝突で28人が死亡.「血の金曜日」と呼ばれる。

6.26 リオデジャネイロで、民主的自由の復活をもとめ自然発生的なデモ.10万人が参加するクーデター以降最大の反政府集会となる.

8月 サンパウロ州オサスコの金属労働者のスト。政府は「労働者が立ち退かなければ,機関銃の的となるだろう」と警告.軍の装甲車が出動して鎮圧。きびしい弾圧の中で労働運動は壊滅.多くの活動家が行方不明となる.

10月 秘密裏にUNEの第30回再建大会.情報を得た警察は、大会に乱入し学生ら1,240人を一斉逮捕.

12月 アルベス議員が激しい軍部批判演説.国会は議員の不逮捕特権剥奪を拒否。

12月 軍部は軍政令第5号を発し、議会を閉鎖。元大統領ら指導的人物200名を逮捕。カエターノ・ヴェローゾ,ジルベルト・ジルなども収監される。

12月 民衆弾圧の専門機関としてDOI/CODIが創設される。多くの人が弾圧を逃れチリに亡命。

1969年

5月 ALNの指導者マリゲイラが「都市ゲリラ協定」を発表。

9.04 都市ゲリラ部隊がエルブリック米大使を誘拐.軍事政権は米国からの圧力により政治犯15名を釈放する。

11月 マリゲイラ、潜伏先で射殺される。都市ゲリラはほぼ壊滅。

1972年

6.16 アラグアイア地方でゲリラ活動を展開したマリア・ルシア・ペティが射殺される。まもなくゲリラ基地は壊滅。

1973年

9.11 チリでクーデター。亡命者はさらにアルゼンチンやヨーロッパに逃れる。

1974年

11月 カトリックの全国司教会議、反対派に対する拷問とカトリック教会に対する迫害に関して、軍政府を公然と非難する。サンパウロの自動車産業労働者,金属労働者組合は「反対派宣言」を発表.

1975年

10.25 サンパウロ教育テレビの報道ディレクター,ウラジミル・エルソグがDOI・CODIにより虐殺される。

11.06 カトリック,プロテスタント,ユダヤ教の共同によるエルソグの葬儀ミサ。8千人が参加.軍政令5号以来の大規模な抗議行動に発展する.

1978年

3.12 サンパウロで生活費上昇に抗議する7千人の市民集会.インフレ率は年間40%に達する.

5.10 サンパウロ大学哲学部校舎で,恩赦をもとめる3千人の集会.

5.12 スエーデン系自動車工場で,労働者1600人がストライキ開始.4日後にはフォルクスワーゲン工場、フィアット工場でもストライキが始まる.

1979年

5.29 全学連の31回大会が国内で開かれる.政府はこれを黙認.

10月 労働者党の第1回大会。「独裁政権に反対する広範な統一戦線を、すべての民主勢力の結集で作り上げよう」と呼びかける。

1984年

1.12 野党が統一して大統領直接選挙をもとめるキャンペーンが始まる.

1.21 農業労働者運動(MST)が結成される。その後20年近く土地占拠など激しい闘争を展開する。

4.10 リオで直接選挙運動の集会に170万人を動員.史上最大の大衆集会となる.1月以来の延べ動員数は800万人に達する.

1985年

1.15 大統領選挙(間接選挙)で野党MDBのネベスが当選。

3.15 急死したネベドに代わりサルネイ副大統領が代行となり民政が復活する。

5.08 共産党が合法化される。

1988年

6月 最大政党PMDBが分裂。左派はカルドーゾを委員長としPSDBを結成。

10月 軍政を拒否する新憲法が発効する。

1989年

11月 最初の大統領直接選挙。保守派のコロールが当選。第二位に労働党のルーラが入る。

1990年

3月 コロール,通貨発行量を3分の1に減らす超緊縮政策をうちだす.公務員のレイオフを断行.軍事費をGDP比0.9%から0.3%にまで削減.

6月 日本,日系二,三世の滞在条件を緩和.多くのブラジル人が出稼ぎに訪れる.

90年 PT、第7回全国大会を開催。激しい議論を経て、「真の民主主義経済を経て社会主義をめざす」綱領を確定。

1992年

1月 共産党(PCB)は共産党としての活動を停止する決議。もうひとつの共産党は「社会主義は生きている」をスローガンに掲げる。

9月 コロールの汚職が発覚。サンパウロでは史上最大の120万人が参加する糾弾集会.議会で弾劾決議が成立する。