時代が文学者を生むのです。
多喜二は一途に書いたし、権力との間の矛盾はあっても文学的矛盾はない。
しかし小熊はそれよりちょっと長く生きた。
転向と裏切りを目の前に見てきた。そしてみずからも諧謔の中にかろうじて自己を維持するしかない時間をすごした。
その中で紡ぎだした奇妙にやさしい言葉は、もろにボデーに突き刺さる。
「橇」のかっこよさ、「喋り捲れ」の迫力は、すべてがままならなくなって、中野重治が沈黙した時に、それでも呻くことをやめない強靭さとなって昇華される。
詩がメタファーだとすれば、それさえも許されない時代に、詩人はどうすればいいというのだ。
小熊はそういう時代に、「詩人はどうあってはならぬか」と、問題を突きつけている。