1997年不況を勉強して、力不足を痛感した。

そんなときに岩波新書から「平成不況の本質…雇用と金融から考える」という本が出た。岩波新書で大滝雅之さんという人の著書である。

とても読み終える自信はないが、齧れるところは齧って見ようと始めた。眼が悪いせいもあるが、1ページ読むごとにお休みして反芻するという繰り返しだ。

例によって私のコメントは一段小さい字で、「ですます」調で書き込むことにする。

はじめに

本書では以下のような時代区分を設定する。すなわち80年代後半をバブル期、90年代を「失われた10年」、2000年代を「構造改革期」とする。

「失われた10年」では大量の不良債権とその処理が大きな問題だった。

「構造改革期」では、国家規模の規制緩和が景気にいかなる影響を与えたかが問題となる。

ここで注意を喚起しておきたいのは「失われた10年」と「構造改革」という言葉とは、対をなしていることである。すなわち90年代が「だめな」時代で、何かが「失われた」から、「構造改革」の要があるという運びである。


ちょっと「はじめに」から突っかかってしまいましたが、90年代を不良債権で、2000年代を構造改革と規制緩和で括るのは、ちょっと荒っぽすぎるのではないでしょうか。

97年から98年には、①消費税を先頭とする政策不況があり、それが消費の低下と相対的生産過剰を呼び、生産不況を呼びました。②これにより隠されていた不良資産問題が露呈し、金融危機を呼びました。③さらにタイに始まるアジア金融危機があり、相場の乱高下は金融資産の評価を大きくゆるがせました。④それにもかかわらず、政府は金融ビッグバンを強行し、金融機関の危機を放置し、傷口を大きくしました。

危機のなかで退陣した橋本内閣に代わり、小渕内閣が登場し①「借金王」と自らを揶揄するまでに国債を膨らませ、公共投資を行い、②長銀破綻にいたり、真水の注入に踏み切り、金融機関を救済しました。③日銀はゼロ金利で金融を支えました。

これで00年の終わり頃までには何とか一服状態まで持っていきましたが、日銀の金利上げでふたたび奈落の底に沈みかけました。このときはゼロ金利でも景気は浮揚せず、総量緩和まで行い大量の資金を投入しました。

この辺までは、表の動きですから分かるのですが、このとき企業がどう対応したかが、現在に至るまでの問題の本質にあると思います。すなわちこの時期に日本の大企業は「変身」したのです。そしてその方向を政府に突きつけるようになり、強引に押し通すようになったのです。

そのころ森内閣も、IT産業への転換を訴え、積極的投資を行いましたが、そのITバブルがはじけたあとは政府が何をやったという記憶はありません。政府・経産省と財界とのバランスは逆転し、いまや経産省は経団連の御用聞きと化しています。

ですから私は、97年から2000年にかけての企業の態度の大転換が読み解かれないと、この間の経済は了解できないのではないかと思います。

それを解くキーワードが「国際競争力」なのだろうと思います。国際競争力には二つの意味があります。第一は競争力=利益力という考えです。目指すのはシェアーでも、売上高でもないのです。基本的にはこれは守りの姿勢です。第二は国内市場の戦略的放棄です。アメリカに加えアジアというエマージング・マーケットが加わり、「将来」展望を踏まえれば国内市場にこだわるのは時代遅れ。高齢化も勘案すれば内需の縮小、極端に言えば日本のケイマン化もやむをえない、ということです。

こういう「世論」が97年からの数年間を通じて財界に形成されていったのではないでしょうか。

このあたりを説得力を持って展開している文章が読みたいものです。