1997年論 まずは年表から

1997年4月

1 財政構造改革を旗印に、消費税が税率3%から5%など負担増9兆円、公共投資など歳出削減4兆円
8 東京外国為替市場で4年7か月ぶりの円ドル126円台に。
25 大蔵省,日産生命に業務停止命令

1997年5月
 16日 改正外為法(外為取引の自由化)、改正商法(ストックオプションの解禁)が成立

1997年6月
13 金融制度調査会,証券取引審議会,保険審議会が日本版ビッグバンの実現を目指す報告
16 患者負担増(本人2割負担)を柱とする医療保険制度改正関連法案が可決成立。9/1より施行
30 第一勧銀・野村證券に業務の一部停止の行政処分を通告。年末まで。
6月 株式は年間最高値をつける

1997年7月
3 アジア通貨危機がはじまる。タイが通貨バーツが変動相場制に移行。実質的な切り下げ。東南アジア各国では,外貨流出や通貨下落が相次ぐ。

1997年8月
15 ニューヨーク株式市場、ダウ工業株平均で247ドル安。史上2番目の下げ幅。株安が世界に波及。

1997年9月
11日 第2四半期、第1次石油ショック以来のマイナス成長(前期比年率-10.6% )を記録

1997年10月
27日 NY株、ブラックマンデー上回る急落。初の全面取引停止.

1997年11月
3 三洋証券が会社更生法適用を東京地裁に申請。負債総額3736億。
17 北海道拓殖銀行が経営破綻。都銀初の破綻。道内営業権を北洋銀行へ移転へ。
21 韓国,IMFに約200億ドルの支援要請
24 山一証券、廃業の申請を決定。簿外債務2648億円。
11月 財政構造改革法が成立。6年間で赤字国債の発行をゼロにする計画。その後財政による景気対策を制約することとなる.

1997年12月
5 NY外国為替市場、1ドル130円に。1992年以来の安値。日銀30億ドルの円買いドル売り介入
17 橋本首相,2兆円特別減税表明

1998年1月
補正予算。公共事業の追加1兆円と,次年度公共事業先取りが1兆5千億円

2月 金融機能安定化緊急措置法,30兆円の公的資金投入。21銀行が公的資金申請

3月 ヤクルト,デリバティブで1057億円損失
3月 失業率過去最悪3.6%.有効求人倍率は0.61.完全失業者246万人.就業者数は6411万人

4月 緊急経済対策(16兆円、真水で10兆円) 財政構造改革法を緩和、特別減税を拡大。


97年4月から98年4月までの経過である。 経過表を眺めるだけでいくつかのことが分かってくる。

①景気の落ち込みが問題になるのは第4四半期に入ってからである。第2四半期の落ち込みは第1四半期の駆け込み需要の反動である。 第3四半期はチョボチョボの線に回復している。しかし需要はまったく喚起されず、作っても売れない状況に入っていた。

②98年4月からの金融ビッグバンを前に、不良資産にあえぐ金融機関に自己資本強化が求められた。資金難の民間に貸し渋りは往復ビンタとなった。

③7月からアジア通貨危機が始まり、10月には拓銀、山一の破綻となった。株価は乱高下し信用不安が進んだ。

④ここでは明らかになったのはヤクルトだけだが、オリンパスもこのとき巨額の損失を出していた。企業は減収増益を目指し守りの体制に入った。新規採用はとまり、人々はますます財布の紐を引き締めた。

この経過で97年危機が訪れた要因は、9+4兆円のほかにアジア金融危機という外因、そしてバブルの最終処理の強制という三つに絞られるが、それぞれがどの程度の重みを持っていたかを吟味しなければならない。