昔からベートーベンの作品106「ハンマークラフィア」が好きになれない。うるさくて汚い。ほとんど雑音にしか聞こえない。
109,110,111番がそれなりにすっきりしているのに、どうして106番だけがこんなに鬱陶しいのか不思議だった。
ところが最近ブレンデルやポリーニを聞いてわかったのだが、106番が鬱陶しいのではなく後期の三曲も弾きようによっては同じように鬱陶しいのである。バックハウスの演奏で慣れ親しんだ私には「そんな筈ではないよ」と遮りたくなる。

理由はいくつか考えられるが、ひとつはベートーベンの耳が悪くなったので、響きの悪さが気にならなくなってしまったこと、もうひとつは、ほんとうにピアノソナタなのだろうか、オーケストラ曲の下書きなのではないかということ。

逆にいえば、そう思って右手がバイオリンで左手がビオラとかチェロだとして演奏すれば、曲想がもっと見えてくるのではないだろうかと思う。

というのも、バレンボイムの演奏がわかりやすくて面白いからだ。何か指揮者になったつもりでチェロを抑えたり、バイオリンを浮き立たせたりして、どんな時にもテンポを外さず、メロディーラインをきっちり守っている。

ポリーニは徹底して民主主義で、楽譜に書きこまれたすべての音符を忠実に、平等に再現する。だから音は濁るし、流れは淀む。聞いていて面白くもなんともない。

コンサートホールで聞けば多少印象は変わってくるかもしれないが、溢れかえる音の渦の中からメロディーラインを見つけるのはいささか疲れる。

昔リヒテルのリサイタルを聴いた時も同じだった。和音だか不協和音だか、とにかく莫大な量の音が常に耳を痛め続けるが、結局なんのことやらわからずに終ってしまった。

せっかく左手の指が導く音を捨てるのはもったいない。ピアニストなら誰でもそう思うだろうが、ベートーベンは結構そういう無駄を強いる人である。

バレンボイムは指揮者だから、そこを割り切れる。そこが下手なりにバレンボイムの演奏を面白くしている所以である。

とにかく、ポリーニはたくさんのベートーベン嫌いを作り出した。音の民主主義は願い下げにしてほしいものである。