草稿集②-500

いまようやく、徐々に、資本主義経済システムは“我々”(人類)を発展させ始めている。そのシステムは同時に、資本主義自身の否定と、新たなシステムへの生まれ変わりをも準備し始めている。

ところで、生産過程の土台には、直接的なモノづくりの過程がある。ここは基本だから直接的生産過程をより詳細に明らかにしなければならない。(マルクス自らの研究の経過においても、それがまさに進行中である)

しかしこのことははっきりさせておかなければならない。すなわち「人間社会の中にあっては、モノづくりは社会的生産過程の一つの要素に過ぎない」ということである。直接的生産過程がモノづくりの過程とすれば、社会的生産過程は価値を作る過程である。モノづくり過程は社会的生産過程に規定され、包括される。

社会的生産の起点は資本が労働力を結合させて価値を作り出すことであるが、それは社会に還元されて初めて価値を実現する。

つまり社会的生産過程の連鎖(再生産過程)は、社会が拡大し、社会とそれを構成する人々が発展することに帰結するのだ。モノもモノづくりも、価値の生産も、“我々”(人類)を発展させるための契機に過ぎない。

この社会的生産過程の主体となるのは、もちろん人間であり社会なのだが、のっぺらぼうにすべての人間がふくまれる訳ではない。社会的生産の主体は「生産者」である。しかも山奥や孤島など孤立した状況で生産しているのではなく、社会的連関の中で生産する「社会的生産者」なのだ。

この「社会的生産者」たちは、自らの不断の活動過程の中で、価値を生産しそれを享受することにより、自らを更新する。同時に、自らが作り出した「富の世界」を拡大していく。これらの過程の総体が「社会的生産過程」なのだ。

資本主義経済システムは、この社会的生産過程を飛躍的に発展させる。大工業は「過去の無駄な試み」を理解させる現場教師である。


ずいぶん噛み砕いて紹介したつもりだが、読み直すとえらく小難しい。さらに解説が必要なようだ。

これは後に続く、オウエンの講演録の紹介に当たり、オウエンの言っていることがマルクスの理論とどう噛み合っているのかを説明した部分だ。

要するに生産には次元の異なる三つの性格があって、一番単純なのは人間が材料を加工して有用物を作ることだ。これに対して社会的生産、ひらったく言えば商品生産というのは、有用物一般ではなくてお金と交換できるものを生産することである。

社会のほうも性格が変化する。つまり商品社会が出現するのである。社会は一般的には生活共同体なのだが、同時に商品交換を通じて結ばれた「生産共同体」の性格も持つようになる。つまり、社会が共同で生産する社会が登場したのである。

このあと、マルクスは余分な一文を挿入している。“この社会的生産者たち”から“富の世界”までは、そういう「生産共同体」の未来論的あり方を示唆したもので、この際は関係ない。

ということで個人的生産から共同体的生産への移行が歴史上のメガトレンドであり、この移行は直接には不可能であり、商品生産社会の介在が必要なのだ。人々は会社に雇われて働くことで社会的生産に参加するが、より大きな目で見れば「生産共同体」の一員となることによって「社会的生産者」となるのである。