ウィキペディアで調べてみたら、この時代はモーツァルトのパリ時代に一致している。
記述を見ると、マインツで知り合った彼女と無理やり引き離され、父親によってパリに送り込まれた。しかも聴衆の評価は高かったが金にはならず、苦労した。しかも同行した母親が死んでしまう、という具合で、韓流ドラマ並みの不幸続きみたいに書かれている。
私は逆だと思う。母親の死を除けばむしろ気分は高揚していたのではないか。
恋人ができ、下賎にいえば肉体関係をもって、一人前の男になった気分、花の都パリで高い評価を受け世界一になった自負、さらに母親が死ねばマザコンからも解放される。ということで一気におとなになった気分ではないか。
年も20歳を少し過ぎたあたりだ。知らずにかぶっていた大人っぽさをかなぐり捨てて、自分に素直になった一瞬ではないか。だからK304では、恥ずかしげもなく情緒に浸り、K310ではベートーヴェンの悲愴ソナタみたいな男気を出す。短調というのはなにかそういう気分でしょう。落ち込んでいるときに欲しいのは「小川の子守歌 Des Baches Wiegenlied」ではないだろうか。
それがザルツブルグに戻った後は再び仮面をかぶり、高級芸人に戻ってしまう。この人はそれができるのである。それが再び仮面を剥ぐのは30過ぎての晩年のこととなる。というような筋立てはいかがでしょう?