共産党が「社会保障、財政危機打開の提言」を発表した。運動畑の人からは相当の議論を呼ぶ提案である。

一番のミソは「なんでも大企業の負担で財源を作るというのではなく、国民全体で、力に応じて支える」という提起である。

各論的にはまだ及び腰のところがあるが、「国と資本家」ではなく、国民全体で税を担うという原理を宣言したことは、「対決、時に対話」の基本路線を貫徹する上ではきわめて積極的だと思う。

もちろん、最終的には大企業の抱える内部留保260兆円を経済活動に還流させることが目標となるが、直接ふところに手を突っ込んでというやり方は取れない。とるべきでもない。

となれば税制の大道である所得税中心に立ち返って歳入増加を図るべきであろう。

内部留保への課税は、税引き後の利益にさらに課税することになり、税体系の論理から言えば不合理である。

内部留保への課税を、資金退蔵という罪に対する一種のペナルティーとして正当化しようとする議論があるが、これは社会的善悪の判断をふくんでおり、税の中立性の大義に反する。

バフェットの強調するごとく、内部留保は原理的には企業の活力の源でる。

それが不条理なほどに肥大化しているとすれば、その原因を取り除く努力が必要であり、政府の経済政策が問われるのである。悔しいことではあるが、それは北風ではなく太陽政策でなくてはならない。それにプラスして投機資本の無法を抑えるための国際的な協調も必要となってくるだろう。

次いで、もうひとつの柱である法人税であるが、これも直接税中心主義から言えば逸脱した税である。ただ、これは所得税の前取り、源泉徴収という性格を与えられており、その限りにおいて有効である。

日本の勤労者のほとんどがきちっとした会社に正社員として勤務しているならば、基本的には法人税はゼロであっても良い。

言ってみれば、企業が信用できないから事前に捕捉するのである。ひとつは高級社員がその所得の多くを非給与的収入によって確保する場合、給与所得のみを対象に課税していては税の公正を著しく欠くことになる。他方で非正規雇用が増えていけば、社会保険等の面で公平さが損なわれることになる。

法人税は当初のシャウプ構想においては35%程度を想定していた。その後、勧告にそむいてまで、法人税率を60%に引き上げたのは、他ならぬ日本政府であった。

政財官が一体となって「日の丸部隊」を編成し海外に打って出るためにはそうやって資金を集中し、傾斜配分を行い設備投資に拍車をかけるほかなかったからである。現在の日本にそのような状況はない。

しかし、今日所得をめぐる不透明度が著しく増している状況にあって、法人税をさらに下げる意義も税法上からは認められない。爛熟した社会にとっては35%を真の「実効」税率に近づけることのほうが重要である。

ただし、これは条件的なものである。さまざまな優遇税制が存続し、資産課税、海外資産課税など技術的困難を抱える状況を改善させていくことが基本であることを踏まえておくべきであろう。