「ラテンアメリカ・カリブ研究」のネット版(ラテンアメリカ・カリブ研究第18号)に在エクアドル日本大使館専門調査員の肩書きを持つ木下直俊氏が論文を発表している。題名は

現地報告: 混迷を深めるエクアドル-『9月30日騒擾事件』に関する一考察

というものである。

最初にお断りしておきたいが、この報告は『現地報告』ならではの貴重な情報が豊富に含まれており、情報収集と文章化に至らしめた木下氏の努力は大いに評価するものである。

私も、発生直後の錯綜した情報を一生懸命整理して文章にしているが、どうしても分からない点がいくつかあり、今回の報告でかなり事実関係がすっきりした。

ただ今回の事件を取り巻く状況は、より全体的に歴史的に見なければならない。私が今回の事件を分析してそこから導き出した結論は、木下氏の報告とはほとんど正反対のものであった。

たしかにエクアドルの政情は安定しているとはいえない。しかしこの国は過去200年にわたり政情不安が続いている国だ。ここ10年あまりをとって見ても、政変が頻回に起きている。

問題は混迷が深まっているのか安定に向かっているのかの評価であり、国民の暮らしがさらに悪化しつつあるのか改善に向かいつつあるのかの評価だ。

第二に、もし不安定化していると仮定したとして、それはコレアの失政がもたらしたものなのか、何らかの勢力による不安定化工作の結果なのかを見なければならない。

第三に、以上を踏まえた上で、2010年9月の『騒擾事件』が自然発生的なものだったのか、クーデター計画をふくむ陰謀だったのか、その性格を分析しなければならない。

まず基本的なポジションとして木下氏は明らかに反コレアないし嫌コレアの立場をとっている。

それは以下のような記載で示されている。

①“コレア政権が抱える影の部分 は見過ごされ、静かに進行していた”

②“コレア政権が抱える内政問題が…噴出した”

③“政権発足からこれまで、政府に対する抗議活動は幾度となく発生している”

④“大統領主導による権威主義的な政治体制を敷いたが、強権的な政府に対する反発や不満は極限に達した”

<はじめに>という短い文章の中でこれだけ書き込まれていれば、ほとんど“アジビラ”のレベルであろう。現地報告というよりは、まるでシリアのアサド政権を糾弾するかのような文章である。

それだけではない。一方で、『多数の死傷者をもたらした』、警官や兵士、一部野党の行動の違法性には言及されず、むしろ警官たちを支持する立場を示唆している。

それは次の一文に象徴的に示されている

それはコレア政権が抱える内政問題が『9月30日騒擾事件』として噴出した瞬間であった。

これは米国政府もふくむ南北アメリカの共通の認識ともかけ離れた、いちぢるしく特異な見解である。

この言い方が許されるなら、73年にアジェンデ政権を倒したピノチェトのクーデターも、02年4月にチャベス政権を一度は倒したクーデターも、すべて美化されてしまう。

いくら私見とはいえ、大使館専門調査員としての節度をいささか外れているのではないかとの懸念を抱かざるを得ない。

次に本論に入ると最初の見出しが

1.先鋭化するコレア政権

どこが先鋭かという根拠は次の通り

①政府は審議を強硬に進めようとして…事前の協議もなく強硬に法律を改正しようとした。

②南米統合を謳い、米州ボリバル代替構想に加盟。南米諸国連合や米州機構といった域内組織との連携も積極的に進めた。

③市場原理を重視した新自由主義路線から、国家の役割を重視する社会主義路線 へと経済政策を転換した。

④安定した雇用環境を構築すべく、パートタイム労働や派遣労働を禁じている。さらに、経済の底上げを目指して、公共事業や社会政策への政府支出を大幅に増やしている。

これらを根拠にして木下氏は次のように結論付けている。

このように、コレア政権は社会主義的かつ急進的な諸政策を推し進めている

反論する気も起きない、ほとんど『お笑いの世界』である。


木下氏の「現地報告」はクーデター未遂事件を紹介する格好をとりながら、「背景説明」に異例の長さを割いている。

それは結果的にクーデター未遂事件を弁護することとなっており、少々行き過ぎがあったとしても「殴った気持ちは分かる」という論理と、「殴られたほうが悪いんだ」という論理とから構成されている。

しかも南米連合や米州機構がはっきりと、クーデターないしクーデターに近い計画性を指摘しているのを、あえて無視して、反乱の偶発性を強調するという点で、国際社会の見識をあからさまにコケにしている。

いまやアメリカは、いきなり軍の戦車が街頭に進出して政府機関を制圧するというような方式はとらないのである。あくまで、民衆の抗議運動が衝突に発展し、国内の混乱が極限に達したところで軍が仲裁に乗り出すという形をとるのである。

もちろんただの行きすぎた抗議行動であった可能性もある。私も最初はそう思った。しかし南北アメリカのほとんどすべての国が参加する(キューバを除いて)「米州機構」の事務総長がクーデター未遂であったと判断すれば、そうなのだろうと思わざるを得ない。それを否定するならよほどの証拠を出さなければならない。木下氏の「個人的に収集した情報」をふくめて、そのような論拠が提出されているとは思えない。クーデターではないとの主張は、たとえ個人的見解であるにせよ現職外交官のポジションを著しく逸脱したものと断ぜざるを得ない。