週末は三食の支度、後片付けに洗濯、ゴミ分別に買い物、さらに除雪となるからなかなかに忙しい。業者に集金と財布も軽くなる。嫁さんはテレビの調子が悪い、パソコンが動かない、トイレが、風呂が、暖房が…とつぎつぎに求めるがこちらも分からない。字が読めない、メガネを取りに行く間に何をしていたかを忘れる。書かないと忘れるが書けば書いた紙を忘れる。
合間を縫ってYouTubeの音楽を楽しんでいる。
忘れないうちに書いておこう。もっともすでに半分以上忘れているが…
Ruth Slenczynska という女性ピアニストのリストのパガニーニ大練習曲が良かった。1925年サンフランシスコ生まれの人で、10歳かそこらでヨーロッパにわたりコルトーやシュナーベルの薫陶を受けたそうだ。経歴から言うとメニューヒンに似ている。
一度挫折した後50年代の後半に復帰し、これは59年の演奏。最初は何だと思って聞いていたが、なかなか座りが良い。初めて本物のリストを聞いたような気さえしてくる。「普通に」名人の弾くリストを聞いていると聴覚の識別能力を越えて音が飛び出してくる。あとに残るのはピアニストの腕の達者ぶりばかりだ。スレンシンスカ(この名前もずいぶん音符が詰まっている)を聞くと、一つひとつの音が、意味を持って飛び込んでくる。そして音の流れの必然性が伝わってくる。そうすると「あぁリストはこういうふうに言いたかったんだ」とわかってくる。リストが意外に良い人なのだということがわかってくる。これはかなり貴重な経験である。
スレンシンスカは下手だから、早く弾けないからゆっくりしているんだと思ったら間違い。音の意味は前後の余白があって初めて伝わるということを示しているのだ。(とは言っても身長150センチの小柄な女性がリストを弾くのはかなり厳しいとは思うが…)

その逆がグルダで、モーツァルトのソナタ第一番はえらく早い。早いなりの迫力はあるが、失われるもののほうがはるかに多い。リストで速さを競うのは良いが、モーツァルトで速さを競うのはお門違いだ。音を大事にするというのは音と音の間の余白を大事にすることだ。そして次の音への以降の必然性を聞くものに訴えることだ。音楽は理工系が強い分野だが、それでも最終的には文科系である。

考えてみるとピアノ弾きは理工系が多いようだ。ポリーニやグールド、グルダ、ミケランジェリなどどう考えても文科系ではない。ホロビッツやリヒテルは理工系というより体育会系か。たしかにピアノというのは体操やアクロバットに近いが、シフラのように腕まくりして出てこられると「ちょっと待って」ということになる。

リパッティやケンプのように人柄だけでも困るが、やはり人には優しさというものが必要なのである。ということで、そろそろ寝る時間なので結論から言うとギレリスとツィマーマンしかないのである。