さんさ時雨という歌がある。
えらく難しい割にはぱっとしない歌で、どこが良いのか分からないが、仙台では絶大な人気だそうだ。

時雨といえば晩秋の雨だが、この歌では霧のような小ぬか雨という設定である。さびしく冷たくまとわりつく雨が、さんさ時雨ということになるが、そこにはひそやかな恋が溶かし込まれている。

「音もせで来て濡れかかる」と続く歌詞は、濡れたうなじの後れ毛を掻きあげる女の反った指に、おのが顔(かんばせ)を寄せなんとする危ない風情である。
その刹那が見事に切り取られている。

伊達正宗公お気に入りの曲と伝えられているが、元は花街で芸者が歌う小唄であろう。さんさは“さのさ”ではないかという説もあるようだ。ただし二番以降はしょうもないインスピレーションゼロの歌詞である。

しかし私には歌というより踊りが気になっている。
むかしNHKの「現代の映像」シリーズで、東北からの出稼ぎ労働者を取り上げた番組があった。高度成長のはしりの頃だろうと思う。番組の最後、東京の工場街のアパートで、出稼ぎ労働者が物干場かどこかで、作業衣のままで、一人踊る。それを望遠カメラで延々と長撮りしている。それがえらく格調が高い踊りで、仕舞のようにも見える。
カメラは徐々に引いて、とりつくしまのない工場街の全景を映し出し、あのテーマ音楽がかぶさってくるというエンディングだった。

それがさんさ時雨だった。
日本経済はこういう文化や伝統を踏みつけにしながら成長しているのだな、としみじみと実感させられた覚えがある。
それが、東北大震災の記録映像を見ながら、ふと思い出された。

武士が舞をひとさしという景色、もう見れないでしょうね。