サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)のたたかい

だいぶ古い「世界政治」(1987年4月下旬号)に紹介記事があった。いずれ役に立つかもしれないので紹介しておく。

1975年10月31日、「緑の行進」の美名のもとにモロッコ軍8千人が国境を越え侵入。

11.06 モーリタニアが南部から侵入。2万の軍勢が南部リオ・デ・オロ地方の中心地ゲラを占領。

11月 マドリードで三国間協定が調印される。

75年 エル・ウアリ・ムスタファ・サイードのひきいるポリサリオ戦線が抵抗闘争を開始する。解放軍は敵軍の後方基地を襲い、越境してモーリタニア軍拠点を攻撃するなど追い詰める。

76年3月 エル・ウアリ・ムスタファ・サイードのひきいるポリサリオ戦線は、住民を道連れに奥地への遅延撤退作戦を展開。

6月にはヌアクショット市内にポリサリオ戦線が攻め入るが、多数の死傷者を出して撤退。

76年7月 モロッコのラバトでハッサン二世とモーリタニアのウルド・ダッダ大統領が会談。「相互防衛条約」に調印する。モロッコ軍3千人がモーリタニア支配地域に展開。さらにフランス人の「ジャガール飛行部隊」が制空権を確保する。

76年9月 ポリサリオ戦線が第3回大会を開催。サハラ人民解放軍(ALPS)を編成し全面攻勢を開始する。ヌアクショットも反復攻撃の対象となる。

77年11月 モーリタニア軍と組んだフランスの「ジャガール」と「ミラージュ」の飛行部隊が進出し、制空権を握る

78年6月 モーリタニアのウルド・ダッダ大統領がクーデターにより失脚。ポリサリオ戦線はモーリタニアに対する一方的戦闘停止を指示。このあと戦いは西サハラ人民解放軍とモロッコ軍との間に絞られる。

78年11月 フランス人飛行部隊が撤退。モロッコ軍はフランス軍の援助を受け反ゲリラ部隊「緊急介入部隊」(DIR)を編成。ゲリラ根絶のため焦土作戦を実施する。

78年12月 ポリサリオ戦線、「ブーメジエン攻勢」を開始。レムサイル、タンタンの戦闘で勝利しモロッコ軍2個連隊を壊滅に追い込む。

79年6月9日 ポリサリオ戦線の指導者サイードが戦死。

79年 モーリタニア新政権とポリサリオ戦線が平和条約に調印する。

79年末 モロッコ軍、制空権確保を中核とするアメリカ式戦術への切り替えを開始する。モロッコ国内に5つの基地を持つアメリカが軍事支援を強める。

81年3月 アメリカ式訓練を受けた特殊部隊がアガディールとタンタンに派遣される。部隊は人民解放軍の待ち伏せ攻撃を受け甚大な被害を出す。

81年10月 アルジェリアの軍事支援を受けた西サハラ人民解放軍は国土の90%を解放。

81年 劣勢に追い込まれたモロッコは、北部にエルアイウン・スマラ・ブクラを結ぶ「重要三角地帯」を設定し、全長2千キロの防衛線により要塞化する。アメリカは1億ドルの軍事援助を開始。人民解放軍はただちに三角地帯の拠点ゲルタ・ゼムールを攻撃し甚大な被害を与える。モロッコは派遣軍を8万人から13万人に増員して対抗。

83年末 ハッサン二世、参謀本部を全面更迭。アメリカ式の装備に切り替える。

84.10.13 ポリサリオ戦線、三角地帯の壁を同時攻撃。ズムール・二ランで防御線を突破する。

85年12月 ポリサリオ戦線の第6回大会。防衛壁突破のための戦略を協議。