いまパソコンに向かっている椅子から、外側に広げて行こう。
私の部屋は二階で、4部屋あるが、誰もいない。パラサイトの息子がもうじき帰ってくるだろう。
階下の寝室には嫁さんが寝ている。他に居間と食堂、台所があるが、誰もいない。
私が生まれた静岡の家は、診察室と待合室があって、家族のいるところは二間と台所だった。子供はまだ私一人だったが、戦争が終わって朝鮮から祖父と叔父が引き揚げて、我が家の一員となった。山形さんだか山梨さんだか忘れたが、そういうおじさんがいた。復員帽をかぶっていた。叔父が独立すると、今度は叔母が転がり込んできた。
おふくろはそういう父親周りの人々が嫌いだったようだが、とにかくしかたがない、一緒に暮らしていた。親父は始終ヒステリーを起こして、私に八つ当たりした。
まぁそれはいいが、大の大人が5、6人、2DKの一つ屋根に暮らしていたことになる。そのうち私の兄弟が次々と生まれたが、建て増ししたし、みんな独立していったから、昭和30年ころにはじいさんを入れて6人で暮らすことになった。戦後の終わりである。
おふくろの兄弟は病院長だったり大学教授だったりするから、どうしても幼心にそちらになびく。付き合う友達も工場長の息子だったり開業医の息子だったりするものだから、子供の頃の私は劣等感のかたまりだった。自分で自分のへそを見てもまっすぐだと思うが、傍から見れば相当曲がっているのだろう。こういう育ち方をした人間が左翼にならないわけがない。

ということだが、そんなことを書きたかったわけではなく、昔は家一軒見たら、その中に10人の人間がいると見なければならないということを言いたかったんです。
それで本家、分家など10軒も家があれば、そこは100人の集落で、田持ちなら田んぼの掘っ立て小屋みたいなところに使用人の家族が住んでいて、物置きみたいなところに二世代10人余りが詰め込まれたりすると、字(あざ)全体では数百人に達して、店屋もあれば、局やら公民館もあって、小学校がひとつ立つくらいの人間が住んでいるというのが50年前の日本だったのではないでしょうか。

それで、こういう集落をどうやったら攻略できるかということになりますが、多分20人くらいの軍勢があればやっつけれるのではないでしょうか。継続支配しようと思ったら、もう少し兵隊が必要かもしれませんが、例えば500人の村でも家長は10人です。この10人を押さえ込めれば何とかなります。10人中、7人はどうでもいい連中ですから、3人を抑えてそれなりのポストを作ってあげれば、後は思うままです。肝腎なことはこの3人にドスを利かせることで、それにはこちらにも一人や二人命知らずを置いとかなければなりません。