あけましておめでとうございます。またしても冥土の旅の一里塚が巡って来ました。正月早々暗い話で申し訳ございません。

「世界政治」のバックナンバーに目を通していたら、「ハンガリー事件関係日誌」という年表を見つけました。

89年に、当時の政権与党の社会党(共産党)がハンガリー事件の見直しをおなったときに作成した年表です。

見直しといっても、これまで反革命と規定してきたものを革命として評価することになったのだから、価値観の逆転です。

しかし、この時点ではまだ及び腰の所があって、10月23日からの「運命の2週間」に関する記載はかなり抽象的です。

その次の号(89年8月上旬号)にはソ連の「新時代」誌のシンポジウムが掲載されていて、これがめっぽう面白い。フォーミンという人が登場して、当時ソ連駐留軍の政治委員をしていた人で、現場感覚たっぷりに「どこが悪いんだ」とばかりにソ連軍の行動を擁護しています。血刀引っさげた迫力に他の論者がタジタジになっています。

いまさらという気もしますが、ハンガリー事件の受容の問題が日本でも相当あって、組織論の議論では未だにアクチュアルなところもあるので、これを機会に一度おさらいをしておきます。これだけやっておけば、革マルに絡まれても大丈夫でしょう。

例によって年表形式です。

主なソースは以下のとおりです。

小島亮『ハンガリー事件と日本』

盛田常夫 ハンガリーからのメッセージ

ウィキペディア 「ハンガリー動乱」

「先駆」

軽くすまそうと思って、日本語文献だけで年表を作ったが、やはり物足りない。1990年以降の発掘資料が反映されていないのではないか、という思いがつのる。 いったいに日本語の文献は思いが強く押し出され、その割には裏付けに乏しい。
日本語文献を読んで疑問に思ったことの答えが、正邪は別として、英語版ウィキペディアには載っている。何よりも資料が新しいのがよい。

そこで結局英語資料にも手をつけてしまった。

⑤ウィキペディア英語版

⑥米国会図書館の各国紹介

National Security Archive

から拾っています。⑦がお勧めです。これでかなり全体像が見えてきたようです。