萩原記者のレポートの続き。
夏休みにはソウル大学の場合、119チーム2600人が各地の農村活動に参加した。
ゼンラ北道に向かう学生は6月28日、龍山駅から夜汽車で出発した。この日10両編成の客車のほとんどが「農村活動隊員」で超満員。龍山駅前広場では盛大な歓送式が行われ、「農民歌」などを歌い、農村活動への決意を固めた。
学生たちは村の公民館や小学校に寝泊まりして、農家を戸別訪問して援農を行う。宿泊所の壁には「働かないものは食うべからず。労働しないものは生活を論ずべからず。我々の流した汗が、民衆に対する愛として心に刻まれるよう」などのスローガンが貼られる。
農民の間で活動するために細かく気を配っている。
服装はできるだけ教練服か作業服。女子学生は露出の多い衣服を避け、派手な色も避ける。履物はコムシン(ゴム靴)とする。ヒルがいても勇敢に田に入る。
米を研ぐ時は絶対にこぼさない。食事は残さず、こぼしたものも食べる。
農民の見ているところで横にならない。常に活気に満ちた姿で、怠けたり疲れた様子を見せない。村人に会えば必ずあいさつし言葉を交わす。農民のわからない言葉は禁句。タバコは年長者の前では絶対禁止。
5人ひと組になって出かけていく。水害で田に流入した土砂を取り除く仕事。農民たちが驚くほど彼らはよく働く。
農民は「手を土で汚したこともない尊い家庭の息子さんたちにこんな苦労をかけて申し訳ない。無理せんで下さいよ」と恐縮する。
女子学生は子供会を開き宿題を見てやったり歌や踊りを教える。
夜は村人や青年たちとの懇談会。そして夜11時から反省会。厳しい相互批判も出る。午前2時白熱した反省会はようやく終わった。

実によく、活動を活写している。延々と引用したが、これは私が学生セツルメントでやった活動そのものである。
我々(民青と呼ばれた)の世代と全共闘との違いはここにあるのではないかと思う。こういう活動を経験していると、全共闘の活動スタイルはどうしてもなじめない。我々のほうがエリート主義だと言われればその通りではあるが。