「世界政治」の85年9月下旬号に良い記事があったので紹介する。
「韓国:高揚する学生運動と学園安定法」という報告で。著者は萩原遼記者である。
学園安定法そのものは、いまとなってはどうでも良いのだが、その背景として光州事件から半年で弾圧に抗して立ち上がった韓国学生の英雄的な闘いが紹介されている。そしてその心理的背景として、光州大虐殺を許してしまった運動の弱点を、わが身に刃を突き立てるような厳しさで総括する韓国学生運動の文章が引用されている。
以下は、そのさわりのさわり


第一に、我々は敵の本質と状況を明確に把握できなかった。第二に、我々は形式的民主主義を実践的に克服できずに、民衆から決定的に遊離してしまった。第三に、学生大衆は全体の力量すら効果的に発揮できなかった。それはまさに学生運動が70年代以来担ってきた理念と闘争力量の限界それ自身であった。

光州抗争は、闘争の内容の急激な進展を受容し、主導していくべき担当勢力、すなわち組織された民衆の力量なしには、現在の敵を殲滅できない。(ということを教えている)
それは我々に投げかけてくる我が民衆の血の宣言 である。


萩原記者は上記の文章を80年12月11日のソウル大学でのデモの際まかれた「反ファッショ学友闘争宣言」というビラからの文章として紹介している。
そしてこの内容はたんにソウル大学の学生のものではなく、この10年間地下で運動を指導してきた張琪杓(ジャン・キピョ)らの総括に基づくものだろうと解説している。

張琪杓というひと、いまでも尊敬されているようだ。というか、正確に言うと敬して遠ざけられているようだ。