世界政治の86年1月下旬号に「分裂活動と戦うスペイン共産党」という記事がある。
これを書いたのは、モザンビークの記事と同じ加藤長さんという赤旗記者である。最近聞かない名前なので、グーグルで検索してみた。東大文学部69年卒ということだから、現役なら私と同じ年ということになる。現在は福祉関係の仕事に携わっているようだ。まぁ、いろいろあったのかもしれない。

余談はさておき、

サンチアゴ・カリリョといえば「ユーロコミュニズム」のスターとして一世を風靡した人物だ。フランコ独裁下での地下活動を長年にわたり指導してきた人で、日本で言えば宮本顕治か野坂参三かというくらいだ。
82年、スペイン民主化が成功して総選挙が行われたが、共産党はこの選挙で大敗した。日本なら普通によくある話で、社会労働党に油揚げをさらわれた形である。
カリリョは大敗の責任を取って書記長を辞任した。しかしこれはポーズに過ぎず、子飼いのゴンサレスに書記長のポストは渡したものの、執行委員には残留し、一言で言えばやる気満々だったのである。
ところが話はそれではすまなかった。民主党ブームではないがこれまでの支持基盤まで社会労働党に持っていかれ、しかも社会労働党は政権をとったとたんに激しく右ぶれしていく。これもありそうな話だ。
ただ違うのは、40年にわたるフランコ独裁が終わったばかりで、一種の権力の真空状態が存在していたことである。新執行部は大胆に諸政党との連合と「統一左翼」の展望を打ち出した。
これがカリリョには気に入らなかった。「俺を差し置いてなんてことをしてくれるんだ」ということになる。
降りて1ヵ月後には早くも指導部批判を公言し始めた。指導部もさぞかしこまっただろう。首都マドリードをはじめバレンシア、ガリシアなど共産党の拠点としたところの古参党員がカリリョの支持基盤でもある。
指導部はずいぶん我慢したようだが、「統一左翼」形成の方針だけは譲れない。なぜならそれはカリリョが唱えてきたユーロ・コミュニズムの必然的ともいえる論理的帰結なのだから。
こうなるとカリリョ派対カリリョの対立という変なことになる。カリリョはかつて攻撃したソ連と手を結び、指導部を攻撃するようになる。
そうやって「指導部は右派だ」と攻撃すればするほど、カリリョの論理的破綻が誰の目にも明らかとなる。
最後はカリリョは党を飛び出し、「スペイン共産党:革命的マルクス主義」なる新党を作って飛び出してしまった。しかしついて行ったものはほとんどいなかった。これが1985年末のことである。
細かく見ればもう少しいろいろあるのかもしれないが、結局カリリョは自分で言い出したユーロ・コミュニズムがどういうものなのか理解できず、その流れについていけなかったというのが真相のようである。いっそポルトガル共産党のクニャール書記長のように、何もしゃれたことを言わずにひたすらオールド・ボリシェビキ路線を走っていれば、わが身は安泰だったかもしれない。それが良いことかどうかは分からないが。