2007年
3.29 新交通システムの不備や教育改革を批判する学生デモ隊が警察と衝突し、学生747人が拘束された。サンティアゴでは少なくとも100台のバスが焼き打ちされた。
4.04 サンチアゴで数百人の学生が抗議行動。警察は催涙弾と放水砲でデモ隊を蹴散らし、約100名を逮捕する。
5.21 バチェレ大統領が記者会見。公共バス料金の値上げについて謝罪する。また、今後数億ドルをかけて教育の改善を行うと約束する。
9.11 クーデター記念日。デモ隊と警察の衝突で41人が逮捕され300人が負傷する。
2008年
3.26 バルパライソにある国会前に集まった約3500名の大学生が、治安警察の部隊と衝突。
10.26 チリ地方選挙。アリアンサの得票率がコンセルタシオンに2%上回る。コンセルタシオンは民主化以降最初の敗北。
2009年
1.05 バチェレ大統領、総額40億ドルからなる景気刺激計画を発表。
2.12 チリ中銀、貸出金利を2.5から4.75%に引き上げ。?
6月 CEPの世論調査で、バチェレ大統領の支持率が67%に達する。歴代大統領の中では最高となる。
12.13 大統領選挙。右派野党連合の企業家セバシティアン・ピニェラ元上院議員(60)が第1位を確保。第2位となった与党連合「コンセルタシオン」のエドゥアルド・フレイ元大統領との間で決選投票となる。与党を離脱した無所属候補のエンリケスは20.1%、共産党などで結成した左翼連合候補のアラテは6.2%。
12月 総選挙。共産党、コンセルタシオンとの選挙協力で下院に3議席を獲得。クーデター以来36年ぶりの議席となる。
2010年
1.17 大統領選決選投票。アリアンサのピニェラが51%を獲得。コンセルタシオンのフレイを破り当選。
2.27 コンセプシオンを中心にマグニチュード8.8の大地震が発生。死者486人、行方不明79人を出す。15万人が家を失う。被害総額は約300億ドル。直後の略奪行為が世界に発信される。
3.11 ピニェラ大統領の就任式。アルゼンチン、ボリビア、ペルー、コロンビア、エクアドルの元首が列席。
7.12 マプチェ運動の受刑者が,①反テロ法適用の停止,②インディヘナ居住区に駐留する軍の撤退,③マプチェ族政治囚の釈放を求めてハンストを開始。
8.05 サン・ホセ銅鉱山で崩落事故が発生し,33名が生き埋めとなる。
8.22 サンホセの33名が坑道深くに生存していることが確認される。
8.24 ピニェラ大統領が実質的なオーナーであるテレビ局チレビシオンが米複合メディア企業タイム・ワーナー社へ売却される。
10.01 政府と一部のマプチェ族活動家の間で、反テロ法の適用停止などで合意。24名がハンストを終了,14名がハンストを継続。世論調査で,政治的弾圧反対は86%に達する。
10.13 サンホセ鉱山で、33名全員が無事に救出される。世界中から約2千人のプレスが集結し,救出作戦の模様が各国で生中継される。,ピニェラの支持率は63%に達する。
10.21 コンセルタシオン内部で進路をめぐる対立。PPDのトア委員長は共産党などとの対話を訴えるが、キリ民党は左傾化に反対する。
10.24 政府の教育制度改革案が提出される。①校長への解雇権付与、②高齢教師への退職勧奨、③入学試験の点数で教育学生の待遇を差別、④採用試験の点数で教師の待遇を差別、などひどいもの。
10月 ピニェラ(コロコロの実質オーナー)がサッカー協会会長選挙に干渉。チリ代表監督は抗議の辞任。大統領の支持率は前回より13%低下する。
12.08 サンチアゴ近郊のサンミゲル刑務所で囚人間の抗争から火災となる。死者は81名に上る。この刑務所は収容能力1100名に対し1924名を収容していた。
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