1990年

3.07 ピノチェト、最後の置き土産として改悪教育基本法(LOCE)を公布。公教育は国営から自治体の管理へ移行された。その結果、教育も市場原理に基づく学校ビジネスが基本となり、教育の質の低下を招いた。

 2006年 ペンギン革命 (Revolución de los pingüinos)

ウィキペディアに非常に詳しい解説あり。

3月 バチェレが大統領に就任。社会党政権が継続する。

4.24 新政権、大学共通入学試験(PSU)の受験料引き上げと、バス料金の学生割引の制限を発表。高校生(チリでは14歳から18歳まで)による闘争が高揚。

4.26 サンティアゴのメインストリートであるアラメダ通りで、政府提案に抗議する高校生のデモ。47人の高校生が警察に逮捕される。高校生の制服がペンギンに似ていることからペンギン革命と呼ばれるようになる。

5.01 高校生がデモに参加し、新政策に抗議する。全土で1,024人が警察に逮捕される。

5.10 内相が、「暴力は正しい手段ではなく、政府は警察の行動を支持する」と開き直る。

5.19 名門校のインスティトゥト・ナシオナルとリセオ・デ・アプリカチオンで、学生たちが学校を占拠し教育改革の改善を求める。その後数日のあいだに、スト/占拠は14校に拡大。

5.26 高校生調整会議(ACES)が「5.30全国ストライキ」を呼びかける。チリ大学学生連合(FECH)、全国教員組合などが支持表明。この日までに70校以上がスト入り。

5.30 79万人の学生が全国各地でデモ。この日までに全国で320の高校が占拠され、さらに100校以上がストライキに入る。73年クーデター後の最大の学生運動となる。

5.30 ジリッチ教育長官と学生リーダー23人が国立図書館で直接会談。図書館前に集まった学生に警官隊が催涙弾を発射。725人が逮捕され26人が負傷する。個人宅にいた見物人も逮捕され、報道関係者も特殊部隊に攻撃された。これらの映像は報道によって流された。

5.31 警察に対する非難が集中する。バチェレ大統領は「警察に治安の維持を期待しているが、昨日目撃したような出来事は到底受け入れることはできない」と非難する。サルディバル内相も、調査の開始と、特殊部隊の隊長と副隊長を含む10人の解雇を指示。

5.31 ACESがジリッチ教育長官の提案を拒否。6.05からの全国ゼネストの決行を宣言。

6.01 バチェレ大統領がテレビ演説。学生たちの要求を受け入れ、大統領諮問委員会を設置、新たな教育政策を検討すると述べる。

6.02 ジリッチ教育長官とACESの再度の直接交渉も物別れに終わる。

6.05 ACESが全国ゼネストを決行。高校生に加えて大学生、高校教師、トラック運転手、労働者の組合も連帯スト。警察は運動の拠点インスティトゥト・ナシオナルに対し、催涙ガスや放水で挑発攻撃。240人が拘留される。

6.07 全国で175の学校がストライキを終了し、平常状態に戻る。

6.07 バチェレ大統領が大統領諮問委員会のメンバーを発表。高校生の席は6つだった。

6.09 闘争委員会、大統領提案を受け、ストライキや学校の占拠を終了するよう呼びかける。

8.08 警察はサンチアゴの21の学校の生徒2千人のデモに対して催涙ガスと放水砲を使った。生徒は投石で対抗した。

8.23 2,000人の学生が改革の遅れに対する抗議デモ。一部学生が警官隊と衝突し200人以上が逮捕される。

12月10日 ピノチェト元大統領が入院していた陸軍病院にて心筋梗塞で死去。