90年代からの20年間、ラテンアメリカは大きく左へ舵を切った。
そのきっかけとなったのは、ひとつはベネズエラのチャベスによる革命であり、ひとつはルーラによるブラジルの民主化だった。
しかしそれはラテンアメリカの左翼化の二つの極でもあった。この二つの傾向の「正統性」をめぐる争いは今でも続いている。
便宜的に、それを原理派と柔軟派と呼んでおく。
ルーラの柔軟主義は一時期ずいぶん批判を浴びた。考えて見るとルーラ政権は革新的な政策は何も行っていない。むしろここの経済政策を見ればネオリベラリズムそのものである。にもかかわらず、ラテンアメリカの経済自立路線を貫くことで、ベネズエラを先頭とする原理派政権を支え続けた。
もしルーラ政権がなければチャベス政権もキルチネル政権も継続不可能だったのではないか、と思われる。
どちらが正しいとはいえない。ルーラがベネズエラで闘えばチャベス路線をとったのかもしれない。

前置きが長くなったが、どの国でも革命路線をめぐってチャベス路線(革命路線)とル-ラ路線(改革路線)は必ず並存する。
しかし改革路線のほうが難しい。「ミイラ取りがミイラになる」からである。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言うし、その辺の兼ね合いは難しい。
ここを乗り切る保障は「大衆路線」である。最近の言葉で言えば「現場主義」である。もうひとつは党内民主主義だ。
フィードバックがしっかりしていれば誤りを恐れる必要はない。修正をかければよいのだ。

この問題を考える上で、サンディニスタの96年の分裂はきわめて参考になる。

インテリ・文化人の多くはこのとき党を離れた。そしてレノバシオニスタを形成した。この分裂を多くの文化人が憂慮した。チョムスキーが調停に乗り出したこともある。どうもみんなニカラグアのことになると第三者ではいられないらしい。

多くの文化人を失ったサンディニスタは、しかしそれ以上に多くの民衆を獲得した。分裂は直接には民主主義的手続きの問題をめぐって発生しており、路線の問題ではないように見える。

しかし底流には明らかにルーラ路線かチャベス路線かという問題があり、この問題は避けて通るわけにはいかないのである。