日米構造協議年表

英語ではSII(Structural Impediments Initiative)と呼ばれる。普通に訳せば「構造障壁に関する攻勢」となる。

1985年 MOSS協議の始まり

1月 中曽根・レーガン会談。市場開放を迫られた日本は、市場重視型分野別協議(MOSS協議)を受け入れると発表。

4月 MOSS協議が開始される。日本政府はこれに応じ、市場開放の「アクション・プログラム」を発表する。

9月 「プラザ合意」が成立。ドル安と協調介入で合意。日本は円高誘導を是認。1ドル=240円から120円に上昇。日本は最大の債権国となる。

85年 米国「新通商政策」を策定。エレクトロニクス、電気通信、医薬品・医療機器、林産物、輸送機器の各分野で不利益が発生すれば、通商法301条を積極的に発動する方向を打ち出す。米半導体工業界は、ただちに日本市場の閉鎖性などを理由に301条提訴する。

1986年

4月 前川レポート発表。正式には「国際協調のための経済構造調整研究会」の報告書。黒字減らしのため内需拡大、市場開放、金融自由化などを柱とする経済構造の改革を行うとするもの。バブルの始まりとなる。

7月 MOSS協議が続く。日米半導体協議で取り決め締結(第1次)。他に電気通信、医薬品・医療機器、林産物の分野で交渉が決着する。

やたらに高い人工関節、ペースメーカー等、何故と問えばアメリカと日本の大臣との話で決まったことで何故もへったくれもない。それがMOSS協議といわれてきた。(兵庫県医師連盟

9月02日 第一次半導体協定が締結される。自主規制と米側によるダンピング調査の中止を柱とする。

11月 対米工作機械輸出自主規制

86年 米国が債務国に転落

86年 GATT、ウルグアイ・ラウンド交渉が開始される。聖域とされた農業、知的所有権、サービスなどの「新分野」が取り上げられるようになる。

1987年

4月 レーガン大統領、①第三国向けダンピング、②日本市場でアメリカ製品が売れないことを理由に、パソコン、電動工具、カラーテレビの関税を100%に引き上げる措置を発動。第一次半導体取り決めが破綻。

10月19日 ブラックマンデー。ニューヨークの株価は史上最大の508ドルという下げ幅を記録。下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年暗黒の木曜日を上回る。

1988年

88年 アメリカで包括通商・競争力強化法が成立。

これまでの通商法の制裁条項である第301条を強化した法律で、被疑国が協議に応じないときは関税引き上げで報復するという内容。日本を仮想敵国とするもの。

5月 建設市場の開放で合意。

6月20日 牛肉・オレンジ交渉、輸入割当撤廃(関税化)で最終決着。ザ・タイマーズ「牛肉・オレンジ」はこちら

88年 アメリカ政府、「外国貿易障壁リスト」を発表する。日本の政府規制、系列取引や建設業界の入札制度、貯蓄投資パターン、土地利用、流通機構、価格メカニズムなどを構造障壁ととらえ撤廃を求める。