http://www.yorku.ca/robarts/projects/wto/pdf/apd_ito.pdf

国際貿易機構(ITO) その短かくもあでやかな生涯

自由貿易と完全雇用は友か、永遠の敵か?

ダニエル・ドラチェ

The Short But Amazingly Significant Life of the International Trade Organization (ITO)

Free Trade and Full Employment: Friends or Foes Forever?

Daniel Drache, Director, Robarts Centre for Canadian Studies,

York University, Toronto Canada

要約

世界銀行とIMFと一緒に、国際貿易組織(ITO)は、40年代後半に戦後の新国際的組織の中核を形成した。

世界はそのとき、貿易・雇用・開発のためにふたたび歩み始めたばかりだった。そこでは規範となるべき多くの斬新な考えが打ち出された。それは特にITOのハバナ憲章において顕著であった。

現在のWTOはITOの後身にあたる機構だが、本質的には異なっている。ITOはWTOに比べ重要な特徴を持っている。それはWTOのように貿易のみを、あるいは主として貿易をあつかう組織ではないということである。

そのコアとなる部分で、ITOは「世界の諸国は、国際的な貿易、開発を進めようとするなら、雇用の基準や国内政策との間に隔壁を設け、維持することは不可能だ」と宣言した。

その最も際立った特徴は、従来の貿易障壁を減らす野心的な計画の統合であった。それは投資、雇用基準、開発、独占企業問題など広範囲な問題に取り組み、議論し、合意した。

「貿易と関税に関する一般協定」(GATT)は ITOのフレームワークの一部として交渉され合意されたものである。それはITOの多くの成果の一つである。

さらに、ITOは開かれた世界貿易秩序を創設した。憲章はまた国際労働基準の重要性と南の諸国の発達の必要を認めた。

その他にも成果があった。ITOは貿易摩擦が法律の力より、協議と調停によって解決されなければならないという考えを打ち出した。

最後に、ITOは貿易秩序と労働基準の間の組織化されたつながりを確立した。それは世界的な統治の大きな進歩を生じている。

これらの成果にもかかわらず、そして政府が憲章に署名したにもかかわらず、米国議会はハバナ憲章を批准することを拒否した。

ITOは、貿易諸原則の再構築にあたり、国際的な雇用保障を重要な基準としてふくませることに成功した。それは多国間主義の基礎として位置づけられた。そして完全雇用義務が、「自由市場への傾倒」の思想とともに、憲章の核心として盛り込まれた。

ITOの崩壊は、直接の結果として、国際的に完全雇用時代の決定的な終了を意味した。結局は、その終焉が自由市場に偏った自由貿易規範の迅速な席巻を可能にしたことになる。

その「自由貿易」の規範は、その後徐々にその権威とイデオロギーを全ての国際的組織に押し付け、多国間主義の展開に対して立ちはだかるようになった。

本文書は、ハバナ憲章とITOの計画の妥当性を調べることを目的とする。たとえ明らかな欠点があるとしてもその歴史は非常に魅力的である。、

ハバナ憲章は政府、経済学者と普通の人々が捜し求めてきた道に光を投じる。彼らは新しくより強力な国際経済を建設しようとした。そして雇用の目標と開発のために必要なものがお互いに強めあうべきだと考えていた。