歴史的な会談だと思うが、赤旗の扱いは大きくない。

そもそも2005年7月 温家宝首相とベトナムのファン・ヴァン・カイ首相が昆明で会談している。このときフィリピンをふくめた3カ国で南シナ海の油田の共同探査を早期に開始することで合意した。
これが進行しないまま、ふたたび両国は独自の開発計画を進行させ、そのたびに軋轢が強化された。

その動きを先行したのは中国側であった。とくに08年末のリーマンショックとそれに続く世界金融危機で、米国の地位は相対的に低下したと評価した中国が、強硬な外交姿勢に転じたことが背景にあるとされる。
赤旗の連載「9.11から十年 世界はどう変わったか」では、09年7月の在外使節会議(大使会議)での胡主席の演説が、この転換を規定していると見ている。
演説内容は詳しくは述べられてはいないが、湖錦湯は「外交を前向きに、主導的に行う」と述べ、国際秩序構築に積極的な姿勢を示したという。

…その後、09年から10年に南シナ海や東シナ海での領土問題などさまざまな問題で、米国や周辺諸国とのあいだで摩擦が起こりました。

もちろんこの記事は日本共産党の公式見解ではなく、囲み記事の中の一説に過ぎない。それにもかかわらず、この指摘は重要である。

これに対し、1年半後の10年12月、戴秉国国務委員が論文「平和発展の道」を発表。この中で「中国が米国に取って代わって世界に覇を唱えるというのは神話である」と述べた。これは湖錦湯の強硬路線を批判したものとされる。

こういう中国党・政府の二つの傾向を伏線に南沙問題を見ると、かなり見えなかった部分が見えてくる。それは戴秉国に代表される「正統派」が、湖錦湯の押さえに回っている流れである。

尖閣問題で最終的に落しどころを決めたのも戴秉国であった。南沙問題でベトナムと交渉し和解の方向を打ち出したのも戴秉国だった。

私のブログの6月28日付にはこう書いた。

南沙諸島をめぐり緊張が続いていた中国とベトナムの間で、高官級の会談が持たれ、「平和的解決」の方向で一致したと報道された。
中国側の交渉代表は戴乗国であり、合意は党レベルのものと考えられる。とりあえず、紛争化の危険は回避されたと見てよいだろう。

さらに以下のように付け加えた。

鄧小平の直系と言われる現在の湖錦湯政権ではその印象が薄れつつあるが、いずれ国際的に括目されるような中国外交が再登場すると確信していた。

その後一進一退があって、今回の首脳会談である。
合意内容に目新しいものはない。むしろベトナムは率直に相違の存在を明らかにしている。とすればこの会談の目的は何か。それは湖錦湯本人を会談の場に引きずり出したということに尽きる。

2005年の公式合意でさえ、首相級の合意であった。それから見ると中越両党の書記長同士の会談というのは最高級の合意である。戴秉国に代表される「正統派」は、みずから作り上げた合意を書記長に認めさせたことになる。