現在の復興財源をめぐる議論を聞いていると、つくづくいやになる。
一刻も早く被災地が復興し、元の生活に戻れるようにしなければならない。これが基本である。将来的に日本の人口構造が変化し経済構造が変化し、いわゆる限界集落、もっと言えば限界地域がやっていけなくなる可能性は否定しない。
しかしいま問題なのはそういうことではない。とりあえず震災以前の状態への復帰が先行されるべきだ。
それだけの力が日本にないのか、ある! 落ち目とはいえ世界第三のGDPだ。大企業には数百兆の金が眠っている。
働き手はいないのか、いる! それも掃いて捨てるほどいる。みんな働きたくてうずうずしている。
大企業に金をくれといっているのではない。10年くらい低利で貸してくれといっているだけだ。その金は、元はといえば日本という国の金だ。そうすればみんなが働き、家が建ち、港が整備され、魚がとれ、物が生産され、日本はもっと豊かになる。
働いて豊かになるということは、本当に豊かになることだ。みんなが豊かになることだ。マネーゲームで豊かになるのは人のかすりを取っただけの話で、本当に豊かになるのとは違う。それは詐欺師や泥棒が豊かになるのと同じで、その国の貧しさの証明でしかない。

わたしは1%の人がそれなりに豊かになることを否定するものではない。そんなに金がほしいとも思わない。そんなに欲しければもって行っても良いよといいたいくらいだ。でも99%の人にどうしても必要なものまで持っていくのはあこぎだ。

「大企業の国際競争力」を錦の御旗にしている人に問いたい。国際競争力のためにはすべてを犠牲にするべきなのか、国際競争力のためには失業率30%になっても、年収200万以下になっても、止むを得ないのか?
国民すべてに特攻隊になれというのか、沖縄県民のように10人に一人が醜の御楯となって死んでしまえというのか。
それは常識的にはない。だとすれば、どこまでが国際競争力の原理の下に許容されるべきなのか、その境界線はどこなのか、なぜそこが境界線なのかを原理的に明確化すべきだろう。
今回の震災や原発被害への対応を見ていると、その境界線が果たしてあるのかどうか、不安になる。国家と国民の未曾有の危機に際してさえ、法人税の減税をあつかましくも要求する1%の人々に対して、またそれを唯々諾々と受け入れる政治家に対して、不信感は募るばかりである。