昨日は圧倒的な量の事実に圧倒されて、飲み込むのが精一杯で咀嚼できませんでした。
肝心なことは現在の税体制、そしてこれからやろうとしている「一体改革」の評価です。

A.シャウプ勧告をどう見るか

シャウプ税制は良くも悪しくも戦後日本の原点の一つです。ニューディーラーの影響を受けた制度という意味で は憲法をはじめとする戦後改革と並ぶ性格を持つものですが、他の制度とは異なり、日本が戦後民主化の時代を終え、いわゆる「逆コース」に入りつつある時代 に導入された制度であるという点では、一線を画して見ていかなければならない側面をもっています。

もう一つ、他のシステムはアメリカが戦時中から すでに準備し、占領初期に実施され少なくとも一度はシステムとして定着したのに対し、租税制度は施行の時期に講和条約を迎え、日本支配層の抵抗により、発 足当初から歪められた形で導入されていることです。その点ではシャウプ勧告と、それを受けて発足した戦後租税制度(シャウプ税制)は、一定分けて考えなけ ればならない側面があります。

シャウプ勧告は次のような側面を持っているといえるでしょう。
A.その残滓ではあるが、平和と民主主義の日本を築こうとする反ファシズム闘争の流れ。とくに反財閥・反独占の立場。
B.日本に理想を実現しようとするニューディーラーの流れ。批判的に見れば「所得税原理主義」ともいえる。
C.税収の安定を図り、経済成長を促す財政政策として位置づけ、資本主義育成に貢献するという目標。これはドッジプランとペアーになっている。

これらの側面を持つシャウプ税制ですが、全体としてみるならば戦前・戦中の日本の税制に比して進歩的なものであったことは疑いありません。
戦前世界に冠たるものであった日本の所得格差は、欧米諸国と肩を並べるまでに縮小しました。これはたんに税制の問題だけではなく、戦後諸改革や高度経済成長が寄与して総合的効果として実現したのですが、税制改革の貢献も無視するわけにはいかないでしょう。

B.直接税原理主義の内包する矛盾

1.直接民主主義の優位性と限界

シャウプ勧告に通底する思想は、一言でいえば直接民主主義の思想だと思います。自立した意識的な諸個人が社会を形成し、社会の公益のために応分の負担をするということが前提になっています。その上にある意味では外在的なものとして州なり連邦政府があるという構造です。
これはピューリタニズムであると同時に、君主制や大土地所有制を経験していないアメリカ独特の発想でもあります。国の政策がモロに国民生活に影響する日本にとっては、必ずしも適合した政治モデルとは言い切れないかもしれません。
税金に対する一種のオプティミズムにも違和感を覚えます。税金は神社の御祭の奉加帳ではありません。日本では明治の地租改正以来、重税に苦しめられてきました。税金は独占資本主義の強蓄積のための大衆収奪の手段にほかなりませんでした。税の持つはずの所得再配分機能はまったく働かず、飢えに苦しむ民衆の上に底知れぬ資産を持つ大金持ちが君臨していました。
「収奪者を収奪せよ!」が税制改革の合言葉にならなければなりません。その上ではじめて直接民主主義の理念が現実的意味をもつことになります。

2.包括的所得概念

概念的にはまさしくその通りだが、給与所得以外の所得評価はかなり難しい。捕捉率を100%にまで上げない限り包括的所得概念は画に描いた餅になります。個人経営でも「マルサの女」張りの格闘が展開されるのですが、これが法人経営となるとさらに困難を極めます。パチンコ屋のレベルではありません。したがって所得源泉としての法人利益を法人税として前取りした上で、給与外所得にはその分を割り引いて課税するという形にならざるをえないでしょう。
資産課税はさらに難しい。テレビの「おたから探偵団」のスタッフにお出まし願わないとならない。要するに包括的所得概念には、その理念以前に適正徴税能力という技術的な壁が立ちふさがっているのです。

ただし、包括的所得概念の理念がそれで死ぬわけではありません。さまざまな技法上のテクニックを用いたとしても、「取れるものは何としても取るぞ」という気構えと迫力はシャウプ勧告の真髄であり、それはしっかりと受け継がなければならないと思います。

3.法人税

法人は擬人であり人格を持たない。したがって本来は課税の対象とならないというのがシャウプ税制の「原理」です。これは現実を考えれば、あまりにもユートピア的考えでしょう。いまもなお企業には200兆円を越える内部留保が積みあがっています。そのお金は結局誰のものでしょう。法律的には会社を構成している社員、すなわち株主の財産です。株主総会の議を経ればどう使おうと勝手、ということになります。
もし企業が将来の拡大のためにそれを使おうという目的で留保しているのであれば、それは目的を限定して自己資本、あるいは何らかの基金に組み込まなくてはなりません。そうでなければただの死に金であり、日本経済のためになりません。法人税が所得税の前取りであるとするならば、内部留保の野放図な増大をコントロールできる税率が課されるべきでしょう。

C.いまシャウプ税制を考える

いくら骨抜きになっても、形骸化したとしても、税法の骨格はなおシャウプ税制に由来するものです。富裕税は施行されるまでもなく消えてしまいました。企業活動や個人のやる気を維持するために下げられた累進課税率や法人税率は、その後の高度成長政策の中で引き上げられました。

それが80年代後半からの新自由主義の浸透の中で、法人税率が下がり、その代わりに消費税が導入されました。いまや法人税収入と消費税収入はほぼ肩を並べるに至っています。所得税の累進性は維持されていますが、証券優遇税制により包括的所得に対する税率は大幅に引き下げられています。

さらにいま議論されている一体改革(恥ずかしげもなく復興税を隠れ蓑にしようとしている)が実現すれば、シャウプ税制は完全に息の根を止められることになります。

シャウプ税制というのは、ひらったく言えば、所得税を柱に金持ちからしっかり金を取ろうというのが基本です。その際、累進性を強化するよりは、定率性に近く曲線を寝かせて、金持ちのやる気も維持しましょう。そのほうが結局収納率は良くなるでしょう(水平面の公平性)、という理屈になっています。

もう一つは金持ちになればなるほど給与外所得が増えてくるから、それもしっかり捕捉しましょうということです。そのために法人税を所得の源泉を押さえるという視点から確保しましょう。これも企業のやる気をスポイルしないために最大35%程度の税率にして、それ以上については別途に課税の方法を考えましょう、ということになります。

そこがきっちり押さえられれば、給与外所得については多少のお目こぼしはあってもいいかな、という姿勢も見え隠れしています。

この課税制度がうまくいかなくなった最大の理由は、法人がひたすら内部留保を積み上げるようになったからです。だからシャウプ税制の直接税原理主義が抜本的な改革を迫られているのは、事実ではあるのです。ただし改革の方向はまったく違います。内部留保への課税、資産課税の強化がもっとも大事な課題でしょう。

少なくとも法人税減税は問題解決の方向には向いていません。