最近では、コロンビアの前大統領アルバロ・ウリベが右翼勢力の極となり、チリ、ペルー、コロンビアの統合を図っているようである。10年12月、サンチァゴで彼らの会議がもたれた。ノーベル賞受賞者マリオ・バルガス・リョサ、スペインのホセ・マリーア・アスナール前首相が会議の成功に尽力したといわれる。

前進しているのか、後退しているのか?

進歩的政党と社会運動が前進していることは疑いのない真実である。しかし 長期にわたる変異の繰り返しが彼らを後退させ、変革をさらに推進する力を弱める可能性はある。“進歩主義”が停滞の段階に入り、やがて退歩へと向かう可能性もある。

この20年間、地域の多くで左翼運動はさまざまな形で現れ、政府機能の重要な一部を遂行した。国家というものの論理が、そのための役割を果たしている。進歩派は政府の持つさまざまな側面を修正することができた。いっぽう、国家装置を管理するということは、管理する側の人間も変えていく可能性がある。

それは倫理の問題ではない。フライ・ベットが「青いハエ」のなかで指摘したように、たしかに倫理の問題も存在するが。

真の問題は、国家がその本質からして保守的な存在だということであり、とりわけ国家自らの既存構造を保持する傾向を持っているということである。この理由のために、もし外部勢力(政党や運動)に変革を促す圧力がなければ、政府はかならず保守的傾向を持つ勢力の支配に終わる。

チリの場合は、20年のあいだ続いた協調戦線政府(コンセルタシオン)が右翼にその席を譲った。右翼政権の登場はピノチェト独裁が終わって以来最初の出来事である。それは私たち自身を写す鏡となるべき実例である。

政府を支えたさまざまな運動は、自らのリーダーシップ・チームを固定化し、実行する人より指導する人、それに特化した人々のグループを作り上げた。そこにはヒエラルキーが出現した。指導者たちと立派なオフィスを維持するための予算が組まれるようになった。

これらの“発展”をどう評価するかは問題ではない。しかしそのことをどう理解するかは重要な課題である。生命はサイクルを持つ。成長の期間、安定した期間、そして低下していく期間。そこから逃れることは不可能である。

20年から30年前に生まれたそれらの運動は、社会変革のインキュベーターかつプロモーターとしての段階を完了したのかもしれない。そして非常に異なった現実への道、安定をもとめる傾向のために道をゆずったのかもしれない。

21世紀の第二の10年間が始まった。この時代は、先進国世界の財政・経済的危機が政治的危機につながる恐れがある時代である。この10年に、南米地域にはより多くの変化が生まれるだろう。キューバでは何かが起ころうとしている。それはキューバの政治体制に根本的変化をもたらすかもしれない。米国でも大きな変化が起こるかもしれない。それは地球上のすべてに衝撃を与えるだろう。

南米の若干の国でも何かが起こるだろう。それは現在の南米地域の政治的・経済的バランスを変更することになるだろう。その候補はたぶん、まずベネズエラ、そしてアルゼンチンであろう。間違いなくそこには混沌とした状況がある。そしてクーの試み、さまざまな形の不安定化工作をふくむ安全への脅威が存在する。」

そこには新たなものは何一つとしてない。新しいこと、エクアドルで示されたことといえば、それは左翼内の分裂であり、草の根組織の動員力の減退である。誰もそれをもとめていなかったけれども、両方ともまた、進歩的な10年の政府の結果である。


この節に関しては相当異論がある。論者の基調はペシミズムであり、そのベースにはアナーキーな運動至上主義がある。論者はこれからの十年を「敗北の十年」と予言する。しかし「21世紀の社会主義」の実験は未だ始まったばかりである。

付け加えるならば、エクアドルのクー未遂事件については事実の評価が間違っている。拙文 エクアドル・クーデター未遂事件 報道と真実 を参照されたい。

南米を変えたこの十年 完