南アメリカの新たな枠組み

米州自由貿易地域協定(FTAA)はブッシュ政権の地域方針の枢軸をなすものだった。これらの変化なしでFTAAを拒否するのは不可能だっただろう。

2005年11月の米州サミットは、統合主義にもとづくワシントンからの提案を葬り去った。そして南アメリカ全体ににメルコスールを広げる戸口を開いた。ブラジルの位置は、アルゼンチンとともに、転換の鍵となった。それは一貫して堅固な姿勢を貫いたことによる。そして自立的発展の道筋を創造するという論点を曲げなかったためである。

サミットは地域統合のプロセスを「前」と「後」に分ける分水嶺となった。南米諸国連合・UNASURの創設は、この最初のステップなしには不可能だった。

日付を思い出してみよう。

2004年12月に、南米諸国の大統領は「クスコ宣言」に署名した。それは南米諸国共同体(South American Community of Nations)の創設を宣言するものだった。その後一連の会合が持たれ、2007年4月に、南米地域はUNASURの名称を採用した。

その後もプロセスは、前進し続けた。

2008年3月1日、コロンビアの空爆作戦が起きた。エクアドル領内のFARC(コロンビア革命武装勢力)の根拠地が襲われ、ラウル・レジェスが殺された。それはアンデス山脈の地域で重大な対立に火をつける恐れがあった。そして、UNASURは南米防衛会議をつくることを決めた。地域内の軍事力を協調させるためである。

その後、南米地域で経験されたいくつかの最重要な危機に際してUNASURの役割は決定的だった。

2008年8月から9月、ボリビア極右がエボ・モラレス政府に対して攻勢に着手したときがそうだった。そして2010年9月、エクアドルでの警察反乱がクーデターに発展しそうになったときがそうである。

この新たな地域同盟は、政治的舞台の中心を占めるようになった。そして民主主義を守るため全ての政府を列につかせた。過去数十年にわたり外交の中心を占めてきた米州機構(OAS)は、ホワイトハウスの支配の下に置かれてきた。しかしそれはいまや支配の座から遠ざけられた。

ここに至る過程でブラジルの果たした役割は明らかである。とくに外務省の役割は決定的だった。その影響下で、地政学的な力関係の方向転換が促進された。この間ブラジル外相を務めてきたセルソ・アモリンは、2009年に雑誌「外交政策」によって「世界最高の外務大臣」との評価を得た。彼はブラジリアに構築されたルーラ新政権のなかで、もっとも著名な人物となった。

21世紀最初の10年間の終わりにあたり、政治的な統合はこれまでないほどの高い水準に到着した。経済的事情においては未だ克服すべきいくつかの重要な相違が残されているが、これは寛容と長期的視野の上に相互の補完関係が形成されるべきだろう。

確かなことは、これらの変換は、エネルギー統合がふくまれていれば、もっと希望に満ちたものとなっただろうということである。たとえば「南の石油の道」計画がもっと具体的に進展していれば、統合は飛躍的に進んでいただろう。

たとえば「南の銀行」の憲章が生命を吹き込まれていたなら、まったく新しい財政的アーキテクチャーが実現していたかもしれない。それらの議論はすべて尻切れトンボに終わっている。

そういった意味では、「われらがアメリカの諸国人民のためのボリーバル同盟」(ALBA)の息吹は、UNASURに属している全ての国によって受け入れられているとは、到底言い難いのが現状である。

以上挙げたのが、前進面と限界面である。これが「進歩の時代」(progressive era)の最初の10年が終わろうとする現在の状況である。