「大地の侍」を見てきました。見た感想は一言では言えません。言いにくいものがあります。

ぎゅっと言葉をつめて言えば失敗作でしょう。しかし「思いのぎっしり詰まった失敗作」であり、「負けたけどいい試合だったね」という感じです。

映画のあらすじは「日のあたらない邦画劇場」http://home.f05.itscom.net/kota2/ が詳しい。蛇足だが、この人の映画解説は映画を見るより楽しい。

分かりもしないのに偉そうにいうのですが、これは当時の東映としては大作です。しかも共産党員作家の書いた小説の映画化です。何でこんな映画を大川社長は作らせたのか。それは「怪傑黒頭巾」シリーズを続けざまにヒットさせた佐伯監督と大友柳太朗に対する論功行賞だと思います。

御存じ快傑黒頭巾 第二話 新選組追撃御存じ快傑黒頭巾 マグナの瞳御存じ快傑黒頭巾 危機一発

この映画が封切られた昭和31年、私は10歳、小学4年生です。喜び勇んでこの映画を見に行きましたが、映画館を出るときは狐につままれたような気分でした。それから55年、まったくどのシーンも覚えていなかったし、実際に映画を見てもまったく思い出すものはありませんでした。ただ大友柳太朗のホームベース顔が普通のオジサン顔になって、笑って、「がんばろうな」といわれているような記憶だけあります。

実際のところ、なんで大友柳太朗が良かったのかは分からないのです。強いていえば子供たちは「良き親父」像を求めていたのかもしれません。錦之助も千代介もスターで縁遠い存在でした。大友柳太朗は東映のスターシステムから言えば傍流で、右太衛門、千恵蔵がメインでした。大友柳太朗の相方も喜多川千鶴という狐目の老け顔女優でした。

そのスター・システムを改変せずに好成績に報いるとすれば、何か1本作らせてやるのが良いだろうと社長は考えたのではないでしょうか。

 

映画「大地の侍」のチラシ(北の映像ミュージアム提供)大地の侍

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 この秋をめづる心の湧く間なく起きて働きつかれて眠る

昭和萬葉(まんようしゅう)」(講談社刊)に俳優、大友柳太朗の4首の一首。花も月もない秋の歌である。1939年(昭和14年)といえば「丹下左膳(さぜん)」や「むっつり右門」の当たり役を演じる前、27歳当時の作である。

何気なく気づいたのだが、宮本顕治は4歳上で、徳山中学から松山高校に進んでいる。その高校生活3年間と大友柳太朗の松山中学の生活は完全に重なっている。だからどうということではないが…