いま世界の運命を決するような重みをもって語られているニュースが二つある。ひとつはアメリカの財政赤字問題であり、もうひとつはEU内後進国、とくにギリシャの債務問題である。
ギリシャの債務問題は、ラテンアメリカを研究するものにとっては2001年12月のアルゼンチン債務危機と二重写しになって迫ってくる。

20世紀末以来の20年余り、株屋=サラ金連合の支配 が強化されている。そして現在も世界のトレンドに変わりはない。手を拱いていればその先に恐ろしい破局が口をあけているのは間違いない。
いまは流行らないが、学生時代に学んだレーニンの帝国主義論に「資本主義の腐朽化・寄生化」という言葉があった。当時はこれに「不均等発展」論を結びつけて「革命の日は近し」と満足していたが、そんなに簡単なものではない。
ただ肩で風を切るネオリベと「株屋=サラ金連合」の横行を見ると、近代資本主義は放置すれば重商主義・重金主義へと先祖がえりしていくのかと感ぜざるを得ない。医学用語で言えば「退行反応」である。
一体どうしてこのような仕儀に相成ったのか、新自由主義者によれば、「それは戦後世界を支配してきたケインズ主義経済システムが突き当たった壁だ」といわれる。
確かに壁はあった。一種の行き詰まり状況はあった。しかしそれはほんとうにケインズ主義がぶち当たった壁だったのか、レーガン・クリントンによるアメリカ帝国主義の巻き返しに世界が屈した結果に過ぎないのではないか、そこをもう少し冷静に見極める必要がある。

ネオリベとケインジアンの対立は、直接には経済政策をめぐる意見の相違である。しかし本音はそこにははない。それは経済にモラルが必要か、恣意性を排し「神の手」にゆだねるべきかをめぐる対立なのである。
ネオという名はつけても、当節の支配階級の論理は人倫とはかけ離れた「ジャングルのおきて」である。我々はこの弱肉強食の論理が、1929年の大恐慌を初めとする多くの恐慌と、二度にわたる世界大戦争を引き起こしたことを記憶している。そして人類を絶滅させる可能性を秘めた原子爆弾を生み出したことを知っている。
ジャングルの掟は勝つためのすべての手段を正当化する。その典型が強引な資金投入である。サラ金の怖さは取り立てにあるのではない。詐欺的手法まで用いる「貸し込み」に最大の危険がある。
そして、本来国際金融秩序を守らなければならないIMFが貸し込みの旗振り役となったことに、ネオリベの最大の犯罪がある。