共産党の笠井議員が福岡で講演会。参加者の感想でこの言葉が出ている。
ルールなき資本主義では、こと原発問題については対処できないというのがこれまでの私たちの論調であり、これに対して財界はあくまで資本の論理、コストの論理を原発問題にも押し通そうとしているというのが、対決の構図だった。つまり原発問題は特殊なのか特殊ではないのかという対立だ。
しかし、もうひとつの対決の構図が必要だということを、この言葉は示唆している。私たちは原発問題とそれ以外の問題を、同じようにルールなき資本主義が抱える共通の問題としても取り組まなければならないということだ。
そのキーワードは未来破壊性ではないか。
「我が亡き後に洪水来たれ」という言葉が、ルールなき資本主義の本性を表す言葉としてよく使われる。つまり未来と、未来の安全性と、未来が保持すべき伝統を、ひっくるめて売り物にしちゃうということだ。
原発を撤廃すればそれですむという問題ではない。ルールなき資本主義を根本から改革しなければ、同じような未来を破壊するような問題はかならず起きる。
もちろん、原発の持つ「異質な危険性」を他の問題と一緒にしてはいけない。あるいは核兵器の持つ全人類的危険を兵器一般と混同してはならない。
しかし私たちはそこからさらに議論を一歩進める必要があるだろう。それらの持つ異形の危険性を強調した上で、それにもかかわらず危険な道を突っ走ろうとするルールなき資本主義の衝動こそが最も根本的な危険となっていること、その本質的特徴が未来に対する破壊性にあること、したがってルールなき資本主義の克服こそが事態の根本的解決となること、を訴えていく必要があるだろう。