赤旗文化面にデュラン・れい子さんというエッセイストが、日仏の文化の違いを書いている。その中で次のように自販機について触れている。

日本の自販機の設置台数は560万台、1台で家庭の電力消費量と同じだといわれています。

ちょっと気になったので、ネットで調べてみた。冷/温機能つきの販売機(おそらく一番使用電力が高いタイプ)について下記の記載があった。

自動販売機の消費電力と電気代
総容量1.2kWの自動販売機群(定格消費電力600Wの飲料用自動販売機×2台など)を24時間フル運転した場合、1.2kW × 24時間 × 30日 = 864kWh の消費電力が、月あたりに発生します。

これは、自宅付近に自販機を設置したいという人のためのアドバイスのページのようだ。この計算だと1台で月432キロワット・時、年間5千キロワット時というところ。相当なものだ。

ところが総合資源エネルギー調査会省エネルギー基準部会 自動販売機判断基準小委員会 最終取りまとめ という大変長たらしい名前の文書には、下記の表が掲載されている。

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これで見ると5000キロワット・時どころか半分以下の2,200キロワット時だ。ただこれはあまりに低すぎる。2200/365/24だと250ワットになってしまう。いったい自販機の消費電力はいくらくらいなのか。

台数もデュラン・玲子さんの示した数字とはだいぶ違っている。電力を食う飲料や食品自動販売機は280万台程度、他すべてを合わせても434万台に留まる。

顰蹙を買った石原都知事の発言

自販機の消費電力については腹立たしい「論争」があった。
石原慎太郎都知事が4月11日、当選直後の会見で「パチンコや自動販売機で余計な電力を喰うことで日本の経済を疲弊させる」と述べた。さらに15日にはこのふたつの業界に自粛を求め、政令の導入さえも匂わせた。

その根拠は「一日に使用される電力はパチンコが450万kW、自動販売機も450万kW。福島第一、第二原発の発電量(900万kW)とほぼ同じだ」というもの。

ところが、この「電力450万kW」発言はでたらめの数字だった。日本自動販売機工業会によると「自販機1台の消費電力は300ワットほど」。東電管区内の自販機台数は85万台(全国清涼飲料工業会)ということから、単純計算すると自販機の電力消費量は25万5千kWに過ぎない。(パチンコのほうは省略)

人品卑しい石原慎太郎らしい行動だ。やっつけても大丈夫そうな相手を見つけて、彼らをいじめることで巨悪に対する怒りをそらそうという意図が見えすいている。関東大震災のときの朝鮮人狩りと同じだ。しかもとんでもないデマを飛ばしても恬として恥じる気配がない。こんな男に投票した東京都民は全員福島に移り住んでもらうべきだ。

しかし、とりあえずここで言いたいのはそういうことではない。「自販機1台の消費電力は300ワットほど」ということで、250ワットもあながちウソではない。

2000年以前の自販機はかなり電力を消費したようだが、2005年ころから改良されて、約半分にまで軽減されているようだ。家庭一軒あたりの消費量と同じというのは、以前のデータなのかもしれない。

省エネが進んでいる

ウソか本当か知らないが、自販機工業協会はとんでもない数字を出している。こういう日本人が、私は嫌いではない。

省エネ法の特定機器に指定された缶・ボトル飲料、紙容器飲料、カップ式飲料自販機は、2005年度出荷機の消費電力量を基準として、2012年度までに業界平均で、次のように低減させることにしました。

指定品目別目標値
缶・ボトル飲料自販機1台当たりの消費電力量を36.3%低減
紙容器飲料自販機1台当たりの消費電力量を27.0%低減
カップ式飲料自販機1台当たりの消費電力量を17.9%低減

この目標がどう達成されたかがグラフで表示されています。


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一世帯あたり消費電力

これは1ヶ月あたりなので、12をかけると3400キロワット時になる。自販機に直すと1.5台分だ。ただ世帯構成員数が急速に減っているので、たとえば一家4人の標準世帯では年間4千キロワット時を超えるというのが相場のようである。

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日本人はサービス精神が旺盛だが、ほとんどマニアックなほどの工夫好き、そして倹約が大好きな国民でもある。だから自販機も、もっと消費電力が減っていく可能性もある。
わたしは外国の暮らしをうらやましいとは思わない。自販機は社会の安全の証しでもある。自販機のある風景は、安全の風景である。街角から自販機が消える日に来てもらいたくもない。「贅沢は素敵なのだ」