殺人と過失致死、どこが違うのか。人が死んでしまったわけで、人の命の重さはどちらにしても変わりはない。
両者の違いは加害者の意識の問題だ。ともに悪意はある。片方は殺意であるのに対し他方は未必の故意だ。ただこの未必の故意には相当の幅がある。この場合、個別の案件にしたがって故意の程度が議論の対象になる。
この場合の違いは、本人の意識ではなく、その故意がどのような結果をもたらしうるかという、予想結果の重大性に評価が移っていく。
その観点から考えると原発の事故は、放射能という異形の被害をもたらす点で未必の故意が厳しく問われることになる。
ただ水をさすようで申し訳ないのだが、未必の故意と殺意は、その対処法はまったく異なる。過失致死に対して最高刑はありえない。原発の場合はあくまでも国民の合意に基づいて進めるべきだろう。
しかし殺人事件ではその殺意が厳しく問われる。介護に疲れた夫が妻を殺して後追い自殺というような、情状酌量の余地が大いにある事件であっても、殺意という一点で、加害者は許されないのである。
誤解を恐れずに言うなら、殺人(大量かつ無差別・無制限の)を目的にした核兵器に対しては死刑宣告しかありえない。この点は死刑廃止論者も異論はないだろう。