*哲学的な記述が延々と続くが割愛。
*貨幣について: 貨幣は資本が実存するよりも前、銀行が実存するよりも前、賃労働が実存するよりも前から存在していた。なぜなら貨幣は単純な範疇であり、さまざまな段階の社会諸関係を表現できるからである。
いっぽうインカ帝国では協業、分業など高度な経済形態が生じているが、なんらの貨幣も存在していない。スラブの共同体では、共同体内部では貨幣は出現せず、その境界において、ほかの共同体との交易でのみ現れた。ローマ帝国では、その最大の発展の時代にあっても、現物税と現物給付が基礎となっていた。貨幣制度は軍隊の中でのみ完全に発達していた。

*過去の経済学のマルクスによる回顧と一口評
重金主義は富をたんなる物象として、貨幣の形で措定している。これに対し重商主義は富の源泉を商業活動に求めた。これは一大進歩であったが、この活動自体は金儲けという限定された目的で把握されていたに過ぎなかった。重農主義は労働の一定の形態である農業を富を創造するものとして措定し、富そのものについても貨幣という仮装ではなく、生産物一般として、労働の一般的成果として措定している。しかし重農主義は、農業に生産活動を限定することによって、富の源泉を労働生産物ではなく「土地生産物」と混同してしまった。富を生む活動のいずれの規定性も捨て去ったのはアダム・スミスの巨大な進歩であった。この移行がどんなに困難であり、また偉大なものであったかは、アダム・スミス自身が、なお時折、重農主義に逆戻りしていることからも分かる。