北原白秋の作詞した「待ちぼうけ」という曲がある。鹿児島県川内市の状況がまさにそれである。
赤旗の連載記事を読むと暗澹とした気分になる。

川内市に原発が建設されたのは1979年。それから30年のあいだに原発立地交付金220億円、固定資産・法人市民税603億円、あわせて823億円が転がり込んだ。
いま、市民の暮らしはどうなっているのか。

国保税は県下市町村で最高。しかも18%も一気に引き上げた。年間450万円の所得の場合、国保税は72万円となる。これはあくまでも掛け金、病気になって病院にかかれば、さらに3割の窓口負担がのしかかる。
当然払えない。中には払わない人も出てくる。対象1万5千世帯のうち滞納が3350世帯、保険証取上が2千世帯を超えている。これでは保険のテイをなしていない。
産業はどうか。基幹となる農業は従事者数が2万から9千に減少した。耕作放棄地面積は県下第1位となっている。歌の文句「むかし涼しいキビ畑、いまは荒れ野の箒草」そのままだ。
つまり市長と取り巻きが土建屋とつるんで823億円全部使っちゃったわけだ。福祉とか産業育成などには一文も使わなかったのだろう。

それで金がなくなったから、国保料を上げて市民にツケを払わせることになる。それどころか、岩切市長はもっとお金がほしいといって3号機の増設を認めたのだ。
これはもはや病気だ。麻薬中毒と同じだ。市民の安全・お年寄りの安心・子供たちの未来と引き換えにしてでもヤクを求める依存症だ。地味でもまっとうな稼業という生き方ができなくなっている。

おそらく農民は農業を辞めて、手っ取り早く金の稼げる土方仕事に転業したのだろう。土建会社がグルミ選挙をやれば、市長も議員も安泰。これも原発の生み出した社会病理現象といえる。