浜益はユーカラ発祥の地

というページがあって、次のように記載されている。浜益村史から引用したらしい。

1.大陸からオホーツク文化をもたらしたモヨロ民族とアイヌ民族との戦争が勃発する。
アイヌ民族から「ポイヤウンペ」という英雄があらわれ、モヨロ民族を撃退する。
英雄ポイヤウンペが砦を構えたところがトミサンベツ(現在の浜益村毘砂別)と言われている。

2.ポイヤウンペは洞爺湖のオヤウカムイを征伐するために遠征するが、オヤウカムイに苦しめられ滝の神にかくまってもらう。
このことを知ったオヤウカムイはポイヤウンペと滝の神を攻撃し、滝の神は殺され、ポイヤウンペは全身に大火傷を負い、石狩に逃れ、命からがらトミサンベツへ戻った。

いつのことかは分からない。しかし、元の骨鬼討伐に絡んだエピソードであることは容易に想像できる。「モヨロ民族」というのは作者がつけたのだろう。宗谷から網走にかけてのオホーツク海岸沿いにモヨロ貝塚を残した狩猟民族が住んでいたことは間違いないが、両者の力関係から言えば、アイヌのほうが圧倒的に強力であり、彼らのほうから戦いを仕掛けることは考えにくい。
元の史書によれば、アイヌがギリアーク(ニヴフ)族や樺太のウィルタ族を攻撃したため元が軍を差し向けたことになっている。その先頭にギリアークやウィルタが立ち、アイヌと干戈を交えたと考えるのは合理的である。

知里真志保「ユーカラの人々とその生活」では次のように語られている。

この戦争の相手である異民族を一括してユーカラでは「レプンクル」(rep-un-kur「沖
・の・人」)と云うのでありますが,それはつまり「海の彼方の連中」ということ
で, その連中の中には「サンタ」と称していわゆる山丹人が出て来るし, その山丹
人の仲間には「ツイマ・サンタ」(Tuyma-Santa)すなわち「遠い・山丹人」と称して
牛の尻尾みたいな髪の毛を背後に垂している連中なども出て来ます。これは明らか
に弁髪なので, 大陸の民族であることが分かるのであります。

ところでこのポイヤウンペであるが、文2とあわせ考えると、余市あたりの部族により毘砂別の砦の司令官として封じられた領主である可能性が強い。毘砂別は浜益の本町から山ひとつ南側、海に向かって開けた沢であり、家が10軒も建てば平地がなくなってしまうようなところである。とても強大な集落を築けるようなところではない。

オヤウカムイはその名からして洞爺湖周辺一帯を差配する部族の長である可能性が高い。そして余市あたりにもうひとつの部族があって、それらが対立していたというのが想像される構図である。元との戦いで武功を立てたポイヤウンベは、余市軍の司令官として洞爺に攻め込んだが、敗れ、重傷を負って浜益に逃げ帰ったという筋立てではないだろうか。

この敗走の旅が、ユーカラではギリシャ神話のオデッセイの物語のごとく語られているようである。設定にはさまざまのバリエーションがあり、義経伝説とも重なっているが、浜益がオリジナルとすればつじつまは合いそうだ。

以上のことからうかがえるのは、アイヌとその北方の民族のあいだには対立・抗争があり、北方民族の背後には元帝国があったということであり、アイヌ自身も日本海側の部族と太平洋側の部族とのあいだに武力衝突を伴うような対立があったということである。