新潮文庫の「あっぱれ 技術大国 ドイツ」という本を紹介する。けっして学術的な本ではないが、なにせ最新情報だ。去年の12月に書かれて今年の正月に発行されたばかり、書き下ろしの新刊だ。 腰巻の謳い文句はこうなっている。「不況にもへこたれないドイツのものづくりにいまこそ学べ! 在独20年のジャーナリストがレポートする最新事情」 ということで、中身としてはドイツの中堅企業の紹介で、半分はちょうちん持ち記事である。これを日本の中堅企業と置き換えてもそのまま使える。ただその間に透けて見えるドイツ産業界の姿勢、政府の立場が日本とまるっきり違っている。ここがこの本の味噌だろう。 1.品質を守るためにドイツで生産 ドイツでもご他聞にもれず人件費の高騰に悩んでいる。多くの企業が安い労働力を求めてポーランド、さらにルーマニアへと工場を移転している。しかしドイツ国内での生産に固執している企業もある。その重役が語った言葉、「技術集約型のプロセスは蓄積したノウハウが必要だ。高い技術水準を維持するには、ドイツで生産することが重要なのだ」 革新的な商品を開発すれば、三度楽しめる。一度目は製品の独占販売による超過利潤、これは幸運の女神が微笑むかどうかで決まる。二度目は設備投資で先行しているためのスケールメリット、これはおまけで自動的についてくる。三度目はそれに多様な機能を付加し個別化してコアーな顧客を引き込むことによる利潤。これこそが企業の腕の振るい所。知識集約型生産の真価が問われるところである。ソニーはここを放棄した。 2.中規模企業を産業の柱にすえる 中規模企業とは従業員数500人未満、年間売り上げ60億円未満の企業をさす。日本とほぼ同程度だが、日本の場合はほとんどが大企業の下請けであるのに対し、独立性が高い。 今度の震災で一躍注目されたのがマイコン・メーカーのルネサス・エレクトロニクスだった。自動車メーカーは下請けは星の数ほどあって搾り取るものだと思っていた。ところが実は名もないマイコンメーカーに牛耳を握られていたのだ。 原発さえなければこのニュースは衝撃度ナンバーワンだった。 かつてはソニーも本田もシャープもそういう会社だったのではないか。通産省(MITI)はそういう会社を育成することを国家的事業として重視してきたのではなかったか。いつのまにぶよぶよと内部留保太りした大企業の代弁人に成り下がったのか。 3.国民一人当たりGDPは日本を上回る ドイツ人は日本人の倍休んで、倍も年金をもらって、医療も保証されている。これは常識である。しかし驚くのは、これだけ休んでも、一人当たりGDPが購買力平価で5%上回っているということである。 これはどういうことか。答ははっきりしている。技術革新が進行しており、労働の付加価値率が高いからである。 かつては日本もそうだった。給料は毎年1万円を超えて上昇した。保険給付も改善された。老人医療は無料、健康保険本人も窓口負担はゼロだった。それでも日本企業は成長した。むしろそれをばねにさらなる需要を創出し設備投資を行い生産体制を強化した。 現在の政財界のトップは、すべてを高齢化社会のせいにして、社会コストのせいにして、自らの責任を覆い隠し、技術革新を怠っている。そして大衆収奪の強化により目先の利益を確保することに汲々としている。 しかし人口構成の変化だけでは、なぜドイツが高い付加価値率を維持し、日本が総崩れになっているのかの説明はできない。 説明するとすればただひとつ、「ベンチがアホやから」ということに尽きる。 米倉会長の顔を見ると、なぜかかさぶたを思い出す。ひざ小僧のすりむき傷についたかさぶたを爪で剥がして裏返してみたら、そこに米倉会長の顔が浮かぶ上がってくる、そんな夢に、今夜はうなされそうである。 それではベルリンの米倉様、今夜もゆっくり御休みください。