日本と元の関係と言えば北条時代の元寇だろう。中国を征服した蒙古帝国が朝鮮半島も制圧し、朝鮮との連合軍艦隊が博多に押し寄せ、最後は神風によって壊滅するというストーリーである。
しかし実はもひとつの関係があった。それがアイヌによる中国侵攻である。海保嶺夫氏の「エゾの歴史」(講談社)の内容を紹介しておこう。
最初の記録は1264年、骨き(山冠に鬼)が樺太から侵攻したため、元が黒龍河河口近くに遠征してこれを征服したというもの。以後1308年までおよそ1世紀半にわたって、繰り返し骨きとの戦いが記録されている。
すごいのはアイヌを駆逐するため動員した兵の数が数万人とただ事ではないことである。万という数が白髪三千丈的な表現であるにせよ、1278年に元が征東元帥府創設したり、名だたる将軍の率いる三つの大部隊を船千艘に乗せ樺太に送り込んだというからやはり大事である。
アイヌはこれらの攻撃に耐えた。降伏・帰順はしたが滅亡はしていない。
海保氏は、これらの記録から、元の数万の兵と正面から戦って負けない勢力が樺太に存在したと推定する。そして少なくとも鉄製の武器で武装した万を超える兵力がアイヌの側に組織されていたと見ている。これは魏志倭人伝よりはるかに面白い。
日本側の文献は皆無に等しいのだが、考古学的に見て樺太にそのような勢力が土着・成長していた証拠はなく、そのような強力な武装集団は津軽十三湊に根城を置く安藤氏が組織し派遣したと見る以外には考えられないだろうと筆を進める。
海保氏以外には骨鬼=安東氏論を展開している人はいないようだが、否定している人もいないようだ。

安藤氏はエミシの末裔であることを自認している武装集団である。おそらくは平泉の安倍・藤原一族の系統と想定される。源頼朝は厨川の合戦で、藤原一族を滅ぼしたことになっているが、実は平泉を明け渡して津軽に本拠地を移したに過ぎないかもしれない。
さすがに元帝国と戦ったのが義経だというわけにはいかないが、案外その孫あたりがアイヌ軍を率いていたかもしれない。北海道各地に義経伝説が残っているのもそれと関係あるのかな。

大事なことは岩手にせよ津軽にせよ当時の農業限界地であり、そこでの政治支配体制は農業生産を基盤として成立したものではない。ハンザ同盟のごとく武装商人集団の支配する世界である。彼らの力の源は、アイヌに対する鉄製品の独占的供給力にあったとされるが、ポーランドを越えてロシアにまで領地を形成したドイツ騎士団のような集団があったとしても不思議ではないだろう。