というわけで
「それでも原発動かすしかない」とはどこにも書いてない。
ネットで読めるもうひとつの記事がある。「賠償スキーム 東電だけが悪者か」という編集部の論説である。申し訳ないが、こちらの文章は相当質が悪い。自家撞着がいたるところに目に付き、何よりも主張の中身が先ほどの論文「発送電分離より大規模化を」で実質的に論破されているからである。
というわけで、
華々しい見出しの割にはこの特集には「原発動かすしかない」ことを論証した部分は見当たらないのである。こういうのを「羊頭を掲げて狗肉を売る」というのであろう。
というわけで仕方ないので
御大葛西会長の論説を見てみよう。

論文はのっけからけんか腰だ。

現場の映像や風説に恐慌を来した人々が原発反対を唱え、定期点検を終了した原子炉の運転が再開できない状況である。

原子炉が運転再開できないことに憂慮する気持ちは分からないでもないが、言うに事欠いて、その責任が「恐慌をきたした人々」にあるというのはあんまりだと思う。「人々」を愚か者と見下す姿勢が露骨だ。公的企業を預かる経営者として、これだけでも十分「謝罪」ものだ。
現状での運転再開に反対している立派な人もたくさんいる。原発所在地の知事さんはほとんどが保守系の「良識ある」人たちだが、こぞって反対している。恐慌をきたしているのは、被災者を傍らにおいてそろばん勘定に夢中になっている葛西氏自身なのではないか。
この「人々」には強制避難を余儀なくされた数十万の人々もふくまれるのだろうか? このような傲慢な状況判断をする人の意見など聞きたくはないが、もう少し我慢してみよう。

原発を止めれば電力供給の不安定化と電力単価の高騰を招き、それに続く企業の業績悪化、設備投資・雇用の縮小、経済の停滞・空洞化、税収の減少、財政の悪化、国債の信用崩壊などの連鎖は日本経済の致命傷となりかねない。

よくもまぁ並べたものだと感心するが、電力供給の不安定化と電力単価の高騰は混同してはいけない。一時的な不安定化は当然あるし、誰もそのことは否定していない。しかし電力単価の高騰については論証が必要である。

少なくともこれから支払われるべき天文学的な賠償金は、これまで享受してきた電力の単価の一部なのである。日本が半永久的に失った半径30キロの国土は電力単価の一部なのである。いままで払ってこなかっただけなのである。それがもし致命傷なのなら、私たちは間違いなく死ぬのである。

緊急時の責任体制と対処方法を明確に定め必要な資機材を適切に配置し、迅速な動員体制を整え、日常の訓練により十分に習熟しておけば同じ災害に直面しても今回の事態は避けられる。

これって戦時中の隣組長の訓話みたいですね。まさかバケツリレーで火が消せると思っているのではないと思いますが。

原子力を利用する以上、リスクを承知のうえで、それを克服・制御する国民的な覚悟が必要である。今やこの一点に国の存亡がかかっていると言っても過言ではない。

国の存亡とか、日本経済とかいっているけど、結局あなた方の商売のことでしょう。そのために国民にリスクを担えっていうことでしょう。国土が失われたっていいということでしょう。

本件については与党も野党もない。声を一つにして国民に語りかけ、日本経済の血液循環である電力の安定供給を守り抜いてほしい。この一案件だけに限った挙国一致内閣があっても良いのではないかと思う。

やはり、大連立構想の本音はここにあった。