大井玄「痴呆老人は何を見ているか」(新潮新書 2007年)

という本を読んだ。というより最後の方は飛ばし読みだ。

書き出しは至極快調で、「ふむふむ」と頷いたり、赤線を引きながら読み始めたのだが、途中から何か変になってくる。

臨床症例の観察は臨床心理学に収斂し、さらには哲学へと向かって行ってしまう。

私は、正直言って痴呆症の臨床心理学などはあまり意味がないと思っている。あまりに個人差が大きいために、らっきょの皮むきになりかねない。

アルツハイマー的な病理機序は、ある意味で老化の本質のひとつであり、もし心理学的追究をすゝのなら老化(心身機能の低下)に伴い、そのひとつとして出現する心理的諸特徴を概括していくほうが生産的ではないかと思う。

前にも言ったことがあるが、認知症の臨床研究は諸症状を中核症状と周辺症状とに分けることで飛躍的に進歩したと思う。

この点については大井さんも異論はなさそうだ。その上で、次は中核症状の進行に対する適応機転、あるいは不適応機転が生じてくる。これを周辺症状と分離することはかなり困難だ。

一応、最近の認知症研究では、これを早期周辺症状と晩期周辺症状に分けて考えようとしている。大井さんが「別世界の形成」とか「自己の異形成」みたいな感じで論じているのは、この晩期の周辺症状にあたるのかもしれない。

さらにうつ病に近いような心身の不活発状態、統合失調に近いような「離人」状態もかなり高率に出現し、これも広義の周辺症状にふくめてもいいのかもしれない。