「戦争責任」という言葉を考える

調べていくうちにだんだん「戦争責任」という言葉が分からなくなってきた。

一体これは何だ。

1.一般人の戦争責任

戦争の道義的責任という言葉が出てくる。そもそもそんなものがあるのか。

戦争そのものが絶対悪だということになれば、それはそれとして分かるが、「ちょっと別の場所で議論してください」と思ってしまう。

戦争への熱狂というのは、古今東西どこでもあるわけで、我々にとっても9.11後のアメリカ人の発狂ぶりで、まざまざと見せつけられた。

群集心理みたいなものが暴走すると、ろくなことはないというのは分かる。

それと戦争責任という言葉を結びつけると、結果的には戦争責任という言葉の重さが失われてしまうようにも思える。

2.戦争責任は政治責任だ

やはり戦争責任は政治責任だとおもう。広い意味での軍事責任と言ってもよい。

しかも、厳密に言えば敗戦責任だ。これはまことに困ったことではあるが、実際には「勝てば官軍」だからしかたがない。

勝った軍や政府の責任が問われたことはない。もし問題となるなら、それは戦争に付随した各種の政策や戦略の誤りであろう。とくに人道的な観点からの誤りは戦争犯罪として指弾され、その責任が問われる。

もう一つは侵略か防衛かの判断である。外国の侵略に対して立ち上がった戦争であれば、負けても責任が問われることはない(戦術上の批判はなされるべきだが)。むしろ英雄として人々の記憶に刻まれるであろう。

内戦の場合は、侵略ではなく抑圧(Repression)と抵抗・解放(Liberation)の関係になるが、本質的には同じである。

そうなると、戦争責任というのは以下の四つ目表で問われることになる。

勝利

敗北

侵略

アウト

防衛

栄誉

伝説

戦争責任をよりリアルに問うなら、「戦争」一般ではなく、侵略戦争を行なった責任とその戦争に負けた責任ではないか。

日本は、明治維新以来?、?、を続けてきて、最後は?の暴走状態となり、結局アウトになった。

問題のひとつは、これらの?、?…が敗北の戦争責任につながっているかどうかにある。私にはどうもありそうな気がする。