丸山真男の「戦争責任」論は、基本的には実践論として読むべきだろう。

しかも時空を限られた集団の実践論だ。時期で言えば、それは戦前派・戦中派に限定される。空間で言えば知識人・エリート層にとっての、あるいはその候補たちの世界の中で語られるべき論理だ。

「戦争を止められなかった共産党の責任」というのは、世間から見ればおよそ荒唐無稽な主張で、「気でも狂ったか」と思ってしまう。

それは共産党員や民青がうじゃじゃいて、声高に戦争責任を叫んでいるような、旧帝大とか有名私立大学のキャンパスの中で、初めて成り立ちうる議論である。

「黙れ、お前らだって責任あるじゃないか」と、講座派の若手学者に向かって叫ぶ、丸山の顔が目に浮かぶようである。

ところが、この言いがかりに近いセリフが、意外にシンパ層に受けてしまった。

原因は共産党の側にある。当時の共産党は反帝であって反戦ではなかった。どちらかと言えば好戦派だった。だから戦争責任を問う立場はご都合主義にならざるを得なかった。

おまけにスターリン主義だから、ソ連の戦争政策や干渉には反対できなかった。それが進歩とみなされていた。しかしそのメッキは急速に剥げ落ちつつあった。

外国や党中央の言うままではなく、自らの良心に従って戦おう、という呼びかけは進歩層の陣営内を席巻した。

かくして学内の進歩派は共産党派と“ノンポリ”の二つの潮流に分かれ、丸山は一方の旗頭に祭り上げられてしまった。

そういうことではないか、と、目下私は想像している。