篠田謙一さんの「DNAから見えた日本人の起源」は、やはりどう考えても時代遅れだと思う。

弥生がベタになっているのが致命的だ。人類史的な考えから言えば、弥生時代という考えがそもそも雑駁すぎる。

1.食事対象で時期区分する必要がある

土器は主要な生活資源ではないし、生産様式を表現するものでもない。マンモスやトナカイを追う狩猟生活が一方であり、一方で漁猟を主体とする生活があり、森林地帯では果実や木の実を採取する生活があった。これが基本である。

これらの違いは自然環境の違いに規定されたものであり、優劣の差ではない。

しかし絶え間ない気候変動により人類は絶えず移動を余儀なくされた。そして人種同士の衝突も否応なしに起こった。

2.南北が戦えば北が勝つ

その時に戦闘力の差は種族の存亡を決定する。戦闘力から言えば狩猟民族が圧倒的に強いのは当然である。

狩猟民族は強固な集団を形成し、その集団力を頼りに生存を図る。大動物を捕らえ殺す手段はそのまま人を殺す手段となる。

一方採取生活は、小家族を単位として広い縄張りの中で数少ない果実を分け合うべく散在する。縄張りの向こうはすべて敵である。団結のしようもない。

かくして人種の入れ替え、混淆は、常に北方人優位の形で継起した。

3.第一次民族大移動

最大の北方種族の移動は1万5千年から1万年前にかけておきている。主要な流れはイルクーツクからハイラルにかけて住んでいた北方民族が黄河領域へと進出したことである。

これと時期を同じくしてアムール川下流域の北方民族が間宮海峡・宗谷海峡・津軽海峡を越え本州に進出した。さらにシベリアのどこからか、一群の集団がベーリング海峡を越えアメリカ大陸に渡った。

なぜこの時期に大規模な民族大移動が起きたのかは分からないが、おそらく気候上の問題であろう。

もともと、アジアに先着したのはメラネシア系の種族だった。したがって長江流域くらいまでは南方系民族が先住していた可能性はある。

台湾の少数民族や沖縄で見つかっている古代人の骨はそれを示唆している。ひょっとしてその北限は日本の本土に及んでいたかもしれない。

彼らは漁労や採集生活を営んでいた可能性がある。北方民族はそれを学ぶことで南方での生活に馴化していったのかもしれないし、独自にそのような生活を創りだしたかもしれない。

ただ稲や麦のような穀物を集めてご飯とか麺類とかの形にして属する習慣は、南方系種族との出会い抜きには考えにくい。

4.長江文明の発生

かくして北方系種族は南方系(メラネシア系)種族を駆逐するか同化するか、いずれにせよ圧倒する一方で、その文化を取り入れた。

そして栗林を作って栗を栽培するのと同じように、米や麦を栽培するようになった。これが世界初の文明である長江文明である。それは8千年前ころから発展を遂げ、数千年にわたり続くことになる。

なぜそう言えるか。それは同じ時期に発生した日本の縄文文化が、栗の栽培にとどまっているからである。その結果稲作文化は東アジアの主流となっていくの対し、三内丸山文化は盲腸のように途切れてしまうのである。

ミトコンドリアDNAであろうと、Y染色体であろうと、ゲノムであろうと、この大きな流れ、歴史的な重畳(ちょうじょう)性を前提にしなければ読み解くことはできない。

5.第二の民族大移動

これは紀元前2千年頃に始まり、南方人を駆逐し長江文明を開いた北方人を、新手の北方人(いわゆる騎馬民族)が押しやる形で展開した。

押しやると言っても、基本的には同種のモンゴロイドであるから、半ば駆逐しなから、半ば混住するょうな形で拡大していく。

中国大陸の中原は基本的にはこの新北方人が支配する世界となり長江人はその辺縁に押しやられた。昆明、雲南、ベトナムのタイ族と繋がる首飾り状の分布形態がそれを示している。これはいったん台湾海峡で途切れたあと、朝鮮半島南部へとつながっていく。

朝鮮半島南部では長江人の暮らすいわゆる三韓地方に北方から新北方人が迫り、漢の時代に南端を残して制圧された。その後満州の扶余人が征服王朝たる百済を建国し睨みを効かせた。

5.旧弥生人(長江系)の渡来

この時期に長江人が大挙して九州に渡ってくる。中国大陸の民族大移動に比べれば遥かに小規模ではあるが、それでも大移動である。弥生時代に日本に稲作文化をもたらしたのはこの長江人の流れであろう。

九州に入った長江人と縄文人が争った形跡は見られない。彼らは共存しつつある程度住み分けを行ったと思われる。なぜなら縄文人の主要な生活範囲は近畿以東と思われるからである。

また縄文人は比較的早期から稲作文明を受け入れ、積極的に同化していった可能性がある。(習合文化としての銅鐸文明)

6.新弥生人(扶余系? 天孫族)

新北方人は遅れて朝鮮半島南部に進出し、百済・新羅・任那を形成した。そして日本にも進出した。これが天孫族と呼ばれる人々である。彼らは長江人を駆逐するのではなく君臨した。

したがって日本人の源流を探る場合、縄文人と弥生人ではなく第一波の北方人(関東・東北・南北海道の縄文人)、長江人、天孫系の三種の時系列的混合として捉えなければならない。

7.事実ではあるが真実の一断面

問題はDNA解析がそれを裏付けてくれるか否かであるが、歴史学的素養のないDNA屋さんの解釈を鵜呑みにしてはいけないと思う。現に、ミトコンドリアDNAの研究者が言うことはゲノム屋さんの言うことと矛盾していることもたくさんある。

ゲノムにネアンデルタール人の痕跡が残っているからといって、その人をネアンデルタール人だとはいえない。

一つの知見を世紀の大発見のように誇大宣伝したり、針小棒大・我田引水などの四文字熟語で迫られても、それを時系列や空間的広がりの中に定位する検証なしには、真実に近づくことはできないのである。