日本人の起源 ミトコンドリアDNAによる分析

久しぶりの赤旗かため読み。16日と本日付の科学欄に見逃せない記事。

題名が「DNAから見えた日本人の起源」、篠田謙一さん(国立科学博物館)のインタビューをまとめた間宮利夫記者による相当な分量の記事だ。ただしDNAといってもミトコンドリアDNAの話で、ゲノム解析ではない。

話は多岐にわたるが、いずれもちょっと中途半端で、後から補充が必要なようだが、とりあえず記事をさらっておく。

1.ミトコンドリアDNA解析とゲノム解析

まずはミトコンドリアDNA解析の意義から。

DNA解析と言っても3つの解析法があることは周知の通り。ミトコンドリアは「イブ・セオリー」で有名になったが、現在ではゲノム解析の補助的手段と考えられている。

ただ、細胞核に比べてミトコンドリアのほうが残りやすいという優点があるようだ。それと、先行しているだけにデータの蓄積が豊富で統計的手法が取りやすい。

そういったことから、まずはミトコンドリアDNAで一定の予測を立て、ゲノム解析で確定していくという作業工程が目下の主流のようだ。

2.縄文人のミトコンドリアDNA

ミトコンドリアDNAは母方の祖先を探るものだが、大本はイブとしてもかなりの種類の祖先があり、日本人だけに限っても20以上の祖先(ハプログループ)が想定される。

まず結論から言うと、①最終氷期最寒期の北方からの移動、②4万年前以降の朝鮮半島からの移動、③4万年枚以降の南方から沖縄への移動、という3つの集団が日本人の基層となっている。

そして、これらの混合したものが縄文人となる。(ただし単一の人種というほどには混合していなかった)

縄文時代に日本に住んでいた人は、この三種にとどまらず、さまざまな時期にさまざまな人がやってきて、全体として縄文人を形成していた。

この記事でもっとも問題なのは、北方からの集団がN9b、南方がM7aとハプロタイプを同定されているにもかかわらず、朝鮮半島からの集団のハプロタイプが記載されていないことだ。
もう一つは南方系の頻度が比較的高いこと、北方系の比率が予想外に低い(4.6%)ことだ。この事実は私の積み上げてきた体感覚と相当食い違う。

3.弥生人のミトコンドリアDNA

弥生人というのが朝鮮半島から渡来した集団であることはほぼ確実であろう。D4aが縄文人から検出されていないことを考えると、彼らがD系のミトコンドリアDNAを持ち込んだことも間違いあるまい。

ということで、この点に関しては「二重構造説」を支持する所見である。

弥生時代以降の縄文人と弥生人の混合についても、従来説のとおりで、鎌倉時代に混合が完成するという説にも格段の異議はない。

4.アイヌ人と琉球人

アイヌは縄文人とは異なり、5世紀から10世紀にかけて北海道に流入したオホーツク人である。彼らはミトコンドリアDNA解析でYグループに属するが、これは北海道の縄文人には見られないものである。

アイヌ人が遅れてやってきた集団であることは多くの研究が示唆している。しかしそこまで遅れているとは予想外であった。
このことは東北で大和朝廷に滅ぼされた蝦夷が、アイヌ人ではなく縄文人であったことを示唆する。すなわち東北~北海道にかけては南から順に弥生人、縄文人(蝦夷)、アイヌ人という住み分けになっていたことになる。

琉球人(沖縄の縄文人)が南方系のM7aを特徴とするというのは、「あぁそうですか」という以外ない。本土の縄文人が沖縄まで展開していたと考えていたが、たしかにあまり根拠はなかった。

ただ、これについては台湾の歴史的人種構成がどうなっていたのかの解析がないと、納得はできない。たしかにマレー系の北進は台湾(バシー海峡)をもって途絶しているのである。

港川原人は高砂族(マレー系)に繋がる系譜で捉えられると思うが、縄文時代に台湾の多くは大陸からの渡来民に占拠された。しかし先島諸島や沖縄本島に孤立して南方系が取り残された可能性はあるだろう。

5.二重構造説の新段階

二重構造説(埴原)の核心となるのは二つの仮説である。

ひとつは縄文人は南方起源であること、そしてもう一つは朝鮮半島から弥生人が侵入し縄文人と混合して現在の日本人を形成したことである。

後者についてはほぼ確定したものと考えて良いであろう。しかし前者については強い疑問があり、むしろ否定的な見解が多いのではないだろうか。

これに対し、篠田さんはミトコンドリアDNA解析に基づいて縄文人三方向説を唱えた。しかし南方人は九州・本土に至っておらず、朝鮮半島人はこの記事を見る限り根拠のない主張である。

そして北方系渡来集団についてはきわめて低い評価しか与えられていない。これは北海道人の僻みだろうか。

鍵となるのは、ある程度期間を限定された大量の集団的流入であり、定着である。

長期に見たアクセスの経路としては朝鮮半島がもっともふさわしいので、ここからは絶えず流入があったと考えられる。しかし縄文文化が花開いたのは関東から東北、南北海道にかけてであり、その担い手が朝鮮半島経由であったとは考えにくい。

ということで、残念ながらこれまでの文献に比べて高い評価を与えるわけには行かないのである。

以下参考までにこれまでの記事