みんなが力いっぱいチャレンジして、時には危ない橋も渡って、成功して、お金をウンと儲けるというのは悪いことではない。それは否定しない。(ただ我々にはそんなチャンスはないから、それほど積極的に褒めそやすほどのことではない)
中には、これを「社会の掟」と勘違いしている人がいる。「弱肉強食は世の習い」とか「貧乏は自己責任」とする主張だ。
それは社会の掟ではない。それはジャングルの掟であって、人間の社会はジャングルの掟で支配されないからこそ人間の社会なのだ。
社会の掟がまずあって、その範囲内で、社会の掟を壊さないかぎりにおいて、「闘いの掟」が成り立つ。ボクシングの殴り合いとかボールの奪い合いと同じようにルールがあって、その範囲内で好きなように稼いだりすれば良いのだ。
そこを善意で勘違いしている人もいれば、悪意ですり替えている人もいる。中にはルールそのものを変えてしまおうという人もいる。
その社会の掟を表したものが憲法の第3章だ。第3章は国民の権利という形で表現されているが、それは義務でもある。世の中にはそれらの権利を守らなければならない義務というものがある。それが「国の義務」という形で表現されているのだ。
この第3章の精神を守る限り、何をしようと勝手だ。それが自由主義というものだ。それが外国(外国の人々)に向かって開かれたもの、それが憲法九条の平和の精神だ。平和は国際社会の掟の核心となる、そういう確信が憲法9条を形作っているのだろうと思う。