ノーマ・フィールド 憲法9条は第3章の精神を基礎に読み込め』でとりあえず、彼女の言葉をそのまま引用したが、一度整理して置かなければならないだろう。

これまで私はこう考えていた。

憲法9条は割と価値中立的なところがあって、「武装放棄」が柱、その精神は憲法前文を読み解くことによって生きてくる、と。

それはそれとして正しいと思うのだが、そういう大上段に振りかぶる「そもそも論」ではなく、下からの積み上げ論も必要なんだなと思うようになった。

国民の市民的権利を擁護する中で、自ずから民主主義の精神や非暴力の思想が醸成され、その帰結として9条がもたらされるという論理が必要だと感じている。

というのも、満州事変に始まる15年戦争の戦争責任を問うなかで、戦争責任は大久保、伊藤、山形に遡って追及されなければならないことが分かったからだ。

もう一つは、戦争への道において、国内における反対の声、まっとうな常識を踏みにじり民主主義を圧殺してきた責任が、それ以上に問われなければならないということだ。

いま憲法第3章「国民の権利及び義務」・全31条をあらためて読んでみると、分かったのは、これらの条文が戦前においてはことごとく蹂躙されていたということだ。「戦争だからそうなった」のではなく、「そうなったから戦争になってしまったのだ」ということが、たしかに実感される。

この視点を持ち続けることはきわめて大事なことで、突き詰めると「戦争か平和か」ではなく「戦争か民主主義か」ということだ。