済南事件から満州事変まで

これは1928年から31年までのほんの3年余りの動きだが、ここですべて太平洋戦争への骨格が決まっている。

いずれもう少し詳しい年表を作りたいと思うが、この年表でもあらましはわかる。

1.現地軍の独断専行

最大の現象的特徴は、現地軍の独断専行である。そしてこれが太平洋戦争に向かって突進し始める最初の動きである。

この独断専行はきわめて狭い目先の判断によって成り立っている。新たに成立した「中華民国」をどう扱うのか、将来どういう関係を形成していくのかのビジョンはまったくない。ひたすら貪るだけの行動である。

石原莞爾の満州=王道楽土のみが僅かにイデオロギーを感じさせるが、そもそも人さまの土地である。念仏もどきを唱えてみても、屁のつっかえにもならない。

永田鉄山が満州を反ソ・反共の砦にしようとしていたと言われるが、それならなおのこと中国政府の扱いが確立していなければならないのに、そこをみずからほじくり返していたのでは話にならない。

第一、この時点でソ連は最大の仮想敵国とはされていなかったのであるから、この理由は後付けの可能性が高い。

2.陸軍の反立憲的変質

もう一つの特徴、本質的にはむしろこちらのほうが重要かもしれないが、陸軍参謀本部の政府からの独立である。

それは「統帥権の独立」の野放図な拡大である。国家の専権事項である開戦の決断まで統帥権(名目上は天皇の権限)にふくめ、政府の役割を国内行政に局限するものだ。

この時点で開戦決断まで話が進んだわけではないが、政府と陸軍首脳の判断に中堅幕僚集団が公然と異議を唱え、それがまかり通っていく過程はきわめて深刻である。

3.内務省・警察が最大の推進者

第三の動きは、あまり表に浮かび上がらないが内務省の“軍部寄り”姿勢である。

この間、日本の社会主義運動は空前の高揚を迎える。多くの若者が社会主義に興味を寄せ、労働運動や文化運動に飛び込んでいった。これを警察機構は徹底的に押さえ込んだ。

あまつさえリベラルな社会思想までも敵視して、民主主義を形骸化させてしまった。つまり軍部独裁を防ぐ手立てをシラミ潰しにして、戦争への道を掃き清めたわけだ。

一方で右翼のテロには寛容で、首相が狙撃され、暗殺されてもほとんど取り締まることはなかった。度重なるクーデター計画の発覚についても積極的に取り締まった形跡はない。

これがやがて2.26事件へとつながり、日本を暗黒の社会へと導いていくことになる。東京裁判では、内務官僚への戦犯としての訴追が必要であったはずだ。

4.その他の戦争推進者

メディアとくにこの頃は大新聞が果たした役割は大きい。ただどこの国でもメディアは扇動者の役割をはたすので、これだけ責めても片手落ちということになる。裏で検閲や発禁処分の脅しで操る内務・警察官僚をまずは糾弾すべきであろう。

右翼やファシスト団体は内務省の手のひらの上で踊る道化にすぎない。大川周明がA級戦犯になるなど片腹痛い。そこには正力松太郎が座るべきであった。