蒋介石政権成立から太平洋戦争開始までの流れを追ってみた。両者が完全に一体化していることがよく分かる。

日中戦争の15年間を抜きに日本の国内政治は語れないし、そこにアジアで大量殺戮を敢行した人物がすべて出揃っているはずだ。


1928年

4月 第二次山東出兵。中国での治安維持を称して日本軍が出兵、6千人が山東省に展開。条約的根拠のないもので中国内外の抗議が高まる。

5月 済南事件(さいなんじけん)。山東省済南で、第二次山東出兵で駐留していた日本軍と国民革命軍との衝突。日本軍は事件を機に済南全域を占領。

6月 張作霖爆殺事件。関東軍により北京政府の事実上のトップ張作霖が暗殺される。

12月 蒋介石率いる国民革命軍が北京政府を倒し中国を統一。

1929年

6月 日本、国民政府を正式に承認する。中国の要請を受け、呼称を「支那」でなく「中華民国」に改める。

12月 奉ソ戦争により中東鉄道(シベリア鉄道の満州内部分)のソ連権益が承認される。

10月 ウォール街で大暴落が発生。世界的大恐慌となる。

1930年

9月 陸軍中佐橋本欣五郎らが桜会をつくる。クーデター計画を作成。翌年3月事件、9月事件を引き起こす。

11月 濱口雄幸首相が東京駅で狙撃され重傷。

1931年

9月18日 満州事変勃発。関東軍が奉天近郊柳条湖で南満州鉄道を爆破。これを中国軍の仕業とし、関東軍を出動。24時間で南満州の主要都市を占領する。

この作戦は関東軍の独断であり、石原莞爾作戦主任参謀、板垣征四郎高級参謀らによる謀略であったことが実証されている。

9月 若槻礼次郎内閣と南次郎陸将、金谷範三参謀総長ら陸軍首脳部は事態不拡大の方針をとる。

9月 陸軍中央の中堅幕僚グループ、関東軍の行動を支持する動き。

陸軍省の永田鉄山軍事課長、岡村寧次補任課長、参謀本部の東条英機編制動員課長、渡久雄欧米課長など。

10月 十月事件(陸軍軍人によるクーデター計画)

11月 清朝の廃帝(宣統廃帝溥儀)、奉天特務機関の手引きで日本租界を脱出。

12月 、第二次若槻内閣総辞職。西園寺元老は犬養毅(政友会)を次期首班に奏薦。

有力新聞は一斉に日本軍の行動を称える記事や写真で紙面を埋め尽くした。これにより関東軍を支持する熱狂的な世論が作り出された。

1932年 

1月 第一次上海事変が勃発。

2月 血盟団事件。前蔵相井上準之助、3月には三井合名理事団琢磨が射殺される。

3月 満州国の樹立が宣言される。

5月 国民党軍と日本軍が上海から撤退。

5月 5.15事件。首相官邸に闖入した海軍士官らが犬養首相を射殺。西園寺の奏薦により、斎藤実(海軍大将)内閣成立。政党政治は終焉を迎える。

1933年

1月 ヒトラー(ナチス党党首)がドイツ首相に就任。

2月 関東軍、熱河に侵入。

2月 小林多喜二が虐殺される。

3月 リットン調査団、満州国を中国に返還するよう求める報告書。国際連盟総会はこの報告書を賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)で採決。日本は国際連盟を脱退。

4月 関東軍、山海関を越え華北侵入。関東軍司令官の武藤信義は功を認められ元帥となる。

5月 京都大学で滝川事件が発生。

7月 神兵隊事件が発覚する。

11月 華北に冀東防共自治委員会が設立される。日本軍の傀儡。

1934年 

3月 満州国、溥儀を皇帝として推戴。

3月 永田鉄山、軍務局長に就任。この時少将。

7月 斎藤内閣、帝人事件で総辞職。西園寺はさらに中間内閣を維持すべく、岡田啓介を首班に奏薦。

11月 陸軍士官学校事件。皇道派学生によるクーデター計画。

1935年

1月 広田外相が対中「不侵略」を表明。関係修復への動きが始まる。

2月 美濃部達吉の「天皇機関説」が問題化。美濃部は9月に貴族院議員を辞職。

3月 関東軍、対支政策を策定。「北シナ政権を絶対服従に導く」ことを確認。

5月 内閣調査局設置(37年に企画庁に改組)。革新官僚の中枢となる。

6月 梅津・何応欣協定。国民党は政府機関・軍の華北撤退に合意。7月にはチャハル省からも撤退。

7月 真崎教育総監が罷免される。

7月 第7回コミンテルン大会。反ファシズム人民戦線が提起される。中国共産党は国民党に対して内戦停止・抗日宣言。

8月 永田軍務局長、陸軍省内の執務室で相澤中佐(皇道派)に斬殺される。

11月 高橋是清蔵相、軍部の予算復活要求を退ける。

11月 華北の非武装地帯で冀東防共自治委員会が組織され、日本軍の支配下に入る。

1936年

1月 日本、ロンドン軍縮会議を脱退。

2月 2.26事件。皇道派青年将校が三日間にわたり帝都中枢を制圧。

3月 広田弘毅内閣成立。

5月 民政党の斎藤隆夫議員が「粛軍演説」を行う。

5月 軍部大臣現役武官制が復活する

11月 綏遠事件。関東軍の支援を背景に「内蒙古軍」が反乱。国民党軍により鎮圧される。

11月 ヒトラー政権との間で日独防共協定が締結される。

12月 西安事件。張学良が蒋介石を監禁する。

1937年

1月 廣田内閣が総辞職。宇垣一成に組閣が命じられるが、陸軍の反対により断念。これに代わり林銑十郎内閣が成立。

対中方針の転換: 対中優越観念の放棄。軍事的威嚇方針から平和交渉への変更を打ち出した。参謀本部戦争指導課長の石原莞爾は、華北工作などの放棄を唱える。

4月 外務、大蔵、陸軍、海軍大臣四相が「第三次北支処理要綱」で合意。北支分治や中国内政を乱す政治工作は行わないとする。しかし関東軍は対中高圧政策、対支一撃論を変更せず。

5月 林内閣総辞職。近衛文麿による挙国一致内閣が成立。

7月 北支事変勃発。北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突。政府は華北への派兵を声明。3個師団を送る。

7月 日本軍支那駐屯軍、北支で攻撃を開始。北平、天津地区を制圧。

8月 第二次上海事変が勃発。政府は断固膺懲を声明。長期戦も辞せず」とし、北支事変の名称を「支那事変」に改める。

8月 国民政府とソ連、不可侵条約を締結。

9月 蒋介石、第二次国共合作に踏み切る。西北地域の共産党軍(約3万人)は国民革命軍第8路軍に改編される。

9月 不拡大方針を主張した石原莞爾が参謀本部から関東軍に転出。

10月 国際連盟総会、日本の軍事行動を非難する決議を採択。

10月 企画庁と資源局が統合され、企画院が設置される。「革新官僚」の拠点となる。

11月 駐華ドイツ大使トラウトマンが日中和平の斡旋に乗り出す。

11月 日独伊三国防共協定締結。

11月 大本営が設置される。参謀本部に「大本営陸軍部」、軍令部に「大本営海軍部」が置かれる。

12月 日本軍が南京を攻略。南京大虐殺事件が発生。国民政府は武漢に移る。

1938年

1月 近衛内閣、「国民政府を対手とせず」と宣言。和平交渉は決裂。

3月 南京に中華民国維新政府が樹立される

3月 ナチス・ドイツによるオーストリア併合。

4月 国家総動員法が公布される。政府が人・物資などを統制。

4月 3ヶ月にわたる徐州作戦が開始される。

5月 近衛内閣改造。関東軍出身の板垣征四郎が陸相、東条英機が次官に就任。

6月 国民政府軍、撤退にあたり黄河堤防を破壊する。住民100万が死亡する。

7月 朝鮮・ロシア国境の張鼓峰において日ソ軍が衝突。

10月 日本軍、武漢三鎮占領。

11月 近衛内閣、「東亜新秩序」建設を声明。国民政府が抗日政策を放棄すれば参加を拒まないとする。

12月 政府、「対支処理方策」を決定。占拠地拡大を停止する方針を打ち出す。

12月 ハノイに逃亡した汪兆銘、近衛声明にもとづき日本と和平交渉に入ると発表。

1939年

1月 第一次近衛内閣総辞職。平沼騏一郎内閣が成立。

4月 中国軍、南支で春季反撃作戦。戦線は膠着状態に入り、戦費が拡大。

5月 重慶爆撃が始まる。半年間で死者4千人。

7月 アメリカ、日本の中国侵略を理由に日米通商航海条約を破棄。対日経済制裁を強める。

8月 ノモンハン事件。日本・外蒙古軍=ソ連軍が衝突。関東軍は第23・第07師団が壊滅、死傷率七割の惨敗を喫する。

8月 独ソ不可侵条約締結。平沼内閣は「欧州の情勢は複雑怪奇」と声明し退陣。阿部信行(陸軍大将)が組閣。

9月 ドイツ軍、ポーランドに侵攻。英仏、ドイツに宣戦。第二次世界大戦勃発。阿部内閣は、欧州大戦への不介入を声明。

9月 国民徴用令が施行される。朝鮮人の徴用・連行が始まる。

1940年

1月 安倍内閣が総辞職。米内光政内閣が成立。

3月 汪兆銘、南京国民政府を樹立。

6月 ドイツ軍パリを攻略、フランス降伏。

7月 米内内閣が崩壊。第二次近衛内閣が成立。東条英機が陸将、松岡洋右が外相に就任。

8月 松岡外相、外交人事で親英米派を一斉左遷。

8月 百団大戦が始まる。20万の八路軍が、山西から河北にかけての鉄道、通信網、日本軍警備拠点を一斉攻撃。日本軍は報復として三光作戦を展開。住民を大量虐殺。

9月 日本軍、フランス領インドシナの北部(仏印)に上陸。

9月 米国、鉄鋼・屑鉄の対日輸出を禁止。国民政府への財政支援を強化。

10月 ほぼすべての政党が解散し、大政翼賛会が発会。

1941年

1月 東條英機陸相、「戦陣訓」を全軍に示達。

東条という男、想像力が完全に欠落した異常人格であることが分かる。少なくとも政治家になるべき人物ではなかった。

4月 松岡洋右外相、モスクワで日ソ中立条約に調印。

6月 ドイツ、ソ連に宣戦。電撃作戦(バルバロッサ)で国境各所を突破。

7月 第三次近衛文麿内閣が発足。御前会議は独ソ戦不介入を決定、南方進出を強化し、対英米戦を辞せずと決定。対ソ戦開始を唱える松岡外相は失脚。

7月 日本軍、南部仏印に進駐。英米は日本資産を凍結。アメリカは石油の対日輸出を禁止。

8月 参謀本部、11月末の対英米戦作戦準備を開始。山本五十六連合艦隊司令長官、全艦隊に戦備を指示。

9月 御前会議において「帝国国策要領」決定。日米交渉に妥結の見込みなきときは対英米蘭開戦との決定。

10月 日米交渉継続か決裂かで、近衛首相と東条英機陸相が鋭く対立。第三次近衛内閣総辞職。

10月 木戸幸一内府の強い推薦により、陸相東条英機が組閣。東条内閣成立。東条が陸相・内相兼務